なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【診断と、両親への報告】

このブログを始めたとき、私自身は未診断だった。

昨年11月に「娘だけじゃなく、自分のことも調べたい」と思ったけれど、病院の予約が一杯で3ヶ月待ったのだ。

 

で、先日、診断を受けた。

大体思っていた通りで、アスペルガー+ADD。娘は連れて行っていないけれど、娘との関係の厳しさ、ということでもかなり話をして、それを聞いての医師の所見は、娘もかなりアスペルガー強め(私はADHDメインだと思っていた)ではないかということだった。

 

いろいろ始まってから、約半年。診断がつく、つかないということ自体はそんなに重要じゃないと思っているけれど、やっぱりなんか、「一段落」という感じではある。

 

ちなみにWAIS-3の結果は非常に意外な感じで、思ったほどいわゆる凸凹は激しくなかった。全然ダメと思っていた分野は、むしろ高得点だった。どうも私の場合、純粋に概念化されたことをテストという環境で集中してやれば、やたら能力を発揮する。けれどもそこに、日常生活上のいろんなことが付随してくると全てのことは途端にマルチタスクになるわけで、そうするとパフォーマンスが落ちて、それが自分自身の不全感とか困り感になっているらしい。

 

一番凹んでいたのは「ストーリーを何枚かのカードで表したものをシャッフルし、それを話の順序に沿って並べ変える」やつ。確かに私は夫の解説つきでないと、時系列が前後するような映画はわからないし、例えば普段、道で突然誰かに会ったりするとその人がどうしてその方向から来たのか、なぜ自転車に乗っているのか、というようなことの背後にある状況を瞬時に推測できずに、まるでとんちんかんな話しかけ方をしてしまったりする。

 

やっぱり、リアルな世界でいろんな情報をいっぺんに処理する、というのがとにかく苦手なんだろうな。

 

診断の根拠になったのは、そういうわけで「発達の凸凹」よりは、生育歴やこれまでのエピソード、困りごとの状況がメインだった。

特に顕著なのは、

「突然予定が変更されるとパニックになる」

「見えていない状況を想像しにくい」

「相手も自分と同じ感覚を共有していると思ってしまう(自他境界線が曖昧)」

「感覚過敏」あたり。

 

これまで、どうも人より生きづらい気がするな、とは思いつつも、社会のルールを「学習」することによって一応はそれなりにやってきたし、たぶん周囲からも「ちょっと変わった雰囲気はあるな」と思われているかもしれないくらいで、トラブルはあまりなかった。

たぶん、ボーダーなんだろうな。そして夫の分析によると、後学によって一応後付けスキルは搭載されているけど、メモリが小さいのでそれが何か(自分のメインの関心ごと、ふってきた予定外のできごとなど)に割かれてしまうとあっというまにメモリがパンパンになり、コンピューターで言えばシャットダウン状態になる。シャットダウンしないまでも瞬時に著しく性能が下がり、「社会的に適正な行動をとるモード」がオフになる。外向きには、かなりがんばってその集中力を保っているんだけど、対身内になると気が緩んで、本来の自分の素になりがち。そういうとき、アスペ特有の行動パターンが前面にでる。

 

ただ、「相手を怒らせてしまったようだけど何で怒ってるかわからない」というほど重度ではなく、「アスペ特性でまたやっちゃってるな」という自覚はある。ので、落ち込む。

落ち込むパターンの例としては:

 

・予定を遂行すること自体にとらわれて、遊びに行っているはずなのにスケジュールばかり気にして家族を追い立て、本来目的の「楽しむ」ということを忘れてしまう。夫がうんざりし、子どもたちが焦らされて疲れているのを見て、そして何より自分自身が設定したスケジュールに縛られてへとへとになる。

 

・買い物に行くときは、予定の目的地を点でつないで効率的にその間だけを移動し、ウィンドウショッピングもせず巻きで帰る。常にとても疲れているので、効率的に最小エネルギーで動くこと、が最優先になる。なので基本、買い物は楽しめない。

 

・余裕を持ったスケジュールで予定されていたことしかしたくないので、要するに「ノリが悪い」。「無駄と思えることや、突発的なことや道草が人生を豊かにするのだ」ということは、「わかる」し、「そうしたい」のに、「どうしてもできない」。

 

・人(特に夫と娘)が自分を当然理解して従うはずだ、と思い込んでしまい、相手を否定してしまう。

 

・・・他にも、いろいろあるなあ。

そういう、以前は無意識だったのでどうしてぶつかったり傷つけ合ったりするのかわからなかったことが、自分の特性と向き合うことで、かなり分かるようになってきた。その点においてはここ数ヶ月で、それはもうガラリと状況は変わった。

夫も、私の取扱説明書のバージョンアップ版を徐々に獲得していっているので、それ自体は希望といえば希望だし、私がパニックを起こしたときなんかも、随分と早くことが収束するようになった。

 

ただ、前は訳もわからずただ怒りやパニックに飲み込まれて「どうして夫は、娘は、こうなんだ!」と周りを責めていたのが(今までホントすまん)、

「ていうかむしろ、主に私だった!」ってことがわかってしまったので、そこはちょっと厳しかったりもする。

 

それでも、やっぱり私は個人的な性質からして分析魔だし、「自分のことがわかりたい」欲求が昔からものすごく強いし、いろんなことが整理されて腑に落ちることで安心するので、厳しい一面があっても、こうして掘り進めていくのが、向いているんだと思う。

(誰もがそうした方がいいとは全然思わない)

 

で、「自分のことがわかりたい!」というのと同じくらい私は「自分のことをわかってほしい!」欲求も強いので(ときどき我ながら辟易とするが、性質なので仕方ない)、昨日さっそく両親に、私のこと、娘のこと、全部話をしてきた。

長くなるのでここには書かないけれど、私は両親との関係は大枠ではかなり恵まれていると思う。ということで、カミングアウトもそれほどストレスなく済み、何よりすっきりした。それとこれまで、小さい頃からいろいろ実は辛かったこと、がんばっていたことも、分かってほしかったんだなあ、と思った。

 

発達障害なんて言葉自体、ほぼ聞いたことがない両親なので、一通り話はしたけれど、まず何が何だか、という状態だと思う。

それで、「面倒だと思うけどこれ1冊読んでくれると助かる」と言って渡してきたのがこの本。

ADHD・アスペルガー症候群 子育て実践対策集 (セレクトBOOKS―育ちあう子育ての本)

ADHD・アスペルガー症候群 子育て実践対策集 (セレクトBOOKS―育ちあう子育ての本)

 

 これ、すごく分かりやすいのだ!

ADHDアスペルガーそれぞれ単体で扱った本はいっぱいあるんだけれど、私も娘もおそらく両方持っているので(そのへんの診断法については賛否両論いろいろごちゃごちゃありそうだけど、ここでは触れない。少なくとも私の実感としては私も、娘も合併である)、2つをセットにして比較しながら一緒に書かれているのは、親切だと思った。

イラストや図解でイメージもしやすく、入門編としてはとてもオススメ。

 

ということで今回は、診断前後の状況まとめ。