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なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【やってくれて当たり前】

娘はたぶんASDで、そのせいか、基本「女王様モード」である。

 

と、言っても、「あなた、私のためにこれしなさいよ!」という女王様ではない。

ただ、当たり前に、人は自分のためにいろいろやってくれるもの、人は自分のペースに合わせるもの、と思っている。思っている、でもないな。無自覚に、ただ、そう。

 

で、私もASDなので、当然私は私で「そっちが合わせろ」ってなっちゃう。そのぶつかり合いで、どちらかがもちろん折れて自分を曲げなくてはいけない。そしてその「折れる、曲げる」ということは、私たちにとってものすごく苦しい。そのことに気がつくまで、娘と私の関係は本当にひどかった。

 

エピソードをあげようとすると、どうしても「すごいつまんない、大したことないこと」に思えるんだけど、そのときは私たちにとっては大ごとなんだよなあ。

 

たとえば、娘は学校から帰宅したあとに手洗いうがいをし、ランドセルや上着や帽子を片付け、宿題をやる、という一連のやるべきことをやるのに、放っておいたら永遠のような時間がかかる。というかやれない。ので、これまでずっと私は、それこそ何十回、いやもしや何百回?と怒鳴り、涙がにじんでくるくらいヒステリー起こして、最後は訳がわからなくなるくらい怒り狂って修羅場になる、というのを毎日!繰り返していた。

そして、ブログの最初の方に書いたように昨年あたりからやっと、ことを認識しはじめ、ペアトレに行ったりして少しずつ取り組み始めたのだけど、

そう、エピソードをあげるんだった。

 

その「学校から帰ったらやることリスト」を、口で言っても埒があかないことがやっとわかったので(とゆーか分かれよ…私の融通の効かなさ、他の方法を考えられない固さも異常だ)、ホワイトボードに書いて、終わったらチェックする、という風にして、状況はだいぶ改善した。

けれど、やっぱり娘は特性持ち。そう簡単に全ては進まない。

たとえば、帰ってきて、何か自分なりに別にやりたいことがあったとき。彼女は「やることリスト」よりも前に、まず自分の目についたことを先にやって、手洗いとかはその後だ、と言って順番を変えてしまう。一度そう決めたら、絶対に曲がらない。

 

「それ、別によくない?」という感じ?

 

あとは、◯◯を作るけど食べる?といってすすめたときに「要らない」と言っても、みんなが食べ終わってから「やっぱり要る。今から作って」となる。昼食のラーメンをまた一人分作り直しとか。

 

なんか・・・大したことないといえばないような・・・

 

まあつまり、一時が万事、「私の欲求とペースのままに」ということだ。

そして人がそれに合わせて、自分のために時間やエネルギーを使っている、ということに思い至らない。だから平気で待たせたり、世話をさせたり。

 

で、こっちは人並み以上に自分のペースを守りたいし、それが外圧で崩されるとパニックになる人なので、もう彼女と一緒にいたら朝から晩まで、片っ端から自分の予定をつぶされては力づくで曲げられていく、ということの連続で、ヒステリーで消耗死してしまうんじゃないかと思うほどである。どうして私は、奴隷でもお手伝いさんでもないのに、こうして自分の意思をすべてねじ曲げられて、時間も労力も投げ出さなければいけないのか。どうしてこんなにやっているのに、この子は「すべて当たり前」という顔をしているのか。

 

でも、この前ふと、気付いたことがある。

娘が学童のイベントでお弁当だったとき、帰ってきてお弁当箱をいつまでも出さず、イライラしていたとき。

「あーーー、私もそういえば、感謝の気持ちって、長いことわからなかったなあ」と。

私も、子どもの頃は、親がいろいろ自分のためにやってくれることは全部当たり前と思っていた。そういえば。

お弁当を作ってくれるのも当たり前だったから、お礼も言わなかったし、お弁当箱もしょっちゅう出し忘れたし、何なら「おかずが茶色過ぎる」とか文句ばかり言っていたよ。そういえば!!

お小遣いをくれるのも、駅まで送り迎えをしてくれるのも、ご飯やおやつを作ってくれるのも、遊びに連れて行ってくれるのも学費を払ってくれるのも留学にまで出してくれたのも、全部当たり前と思っていたよ。

 

うん・・・同じだ。

正直に言って、内側から自然にわき上がってくる感謝の気持ち、というものを自覚するようになったのは、もう相当大人になって、いい歳になってからだ。

「ありがとう」を言うべき時には言えだけど、それはたぶん後学によってTPOを覚えたから。本当に「ああ、感謝感謝だなあ」って感じるようになったのは、もしかしたら子ども生んでからじゃないかな〜。

 

「気持ち」は、自発的にしか生まれて来ない。

それは、外から教えられるものじゃない。

だから今は、「どうしてこの子は感謝してくれないんだ」と悲しむのはやめよう。「こういう態度では学校で困るから、教えなくてはいけない」って、自分を正当化していたけど、正直なところは「私に感謝してくれない」という悲しみ・恨みだった。

 

「人を待たせないようにしよう」

「こういうときは、ありがとう、って言うんだよ」

「こうされると、人はこういう気持ちになるんだよ」

と、ひとつひとつ伝えていくしかない。

大丈夫。ASDは人の気持ちがわからない、ってよく言われるようだけど、わからないわけではない。ただ、相手の気持ちやそこに至る経緯を想像できるようになるのに、すごく時間と経験が要るんだ。

あとは、人の気持ちなんて、定型者だってもちろんわからないわけで。

 

私だっていまだに似たり寄ったりだし、今も発達途上だし。娘は娘のペースで、少しずつ経験を蓄えながら育っていけばいいんだ。

こういうとき、同じ特性を持っていることは、理解の助けになる。