なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【子どもへの告知と支援について悩む】

娘には、早期に自分の得意なこと・苦手なことを自覚して、処世術を身につけて欲しい。

しなくて良い苦労はしなくて良い。


でも告知は、一度してしまったら無かったことにはできないので、慎重になっている。


聞いたことをすぐ忘れてしまうことがよくあるね、いっぺんにたくさんのことを覚えられないね、支度をするのに人より時間がかかるね、

と言うようなことは本人に伝えてあるし、自覚もある。

ただ、お医者さんで「診断」がつくようなものなのだ、ということ、また学校で週一回別の学校に行っているお友達と同じように、自分もクラスの子たちとは別枠で支援が必要な人なんだ、とは全く思っていない。


そして今のところ、メインの困り事は母娘関係が難しいことであり、あとは親の指示が入らないこと、公共の場でもこだわりによるパニックが出ること、などで、学校生活においては、まだそれほど問題があると言う話は来ていない。


この段階で、本人にどの程度までの自覚を促して、学校の先生なども巻き込んだ支援をしていくべきかどうか、非常に悩ましい。


私自身は、自分が発達障害かもしれないということに気づくまではそれほど意識していなかったが、自分の過去を掘り起こしてみると、小学校くらいまではかなり学校生活にも支障をきたしていた記憶がある。支障、というか「浮いていた」といった方がいいかな。それで先生に怒られたり、親に電話が来たりしたことはないし、特別辛かったということでもない。


ただ、40にもなって自分の得手不得手や、体質的なハンディ、社会生活上の生きづらさがひとつの絵としてやっと認識され、少しは整理もつき、そうなってみると「ああ、そういうことだったのか。すっきりはしたけれど、もしもっと早く知っていれば、こんなに生真面目に周りに合わせて生きなくても、もう少し自由に自分の『好き』や『得意』を追求する道もあったのではないか」という思いもある。


娘にはその、私が回り道をして選び得なかった道をなるべく早く見つけて、彼女らしく少しでも楽しく生きられる道を模索してほしい。「楽しく生きてほしい」というのは親の勝手な希望だとしても、少なくとも自活して生きていける術を身に着けてほしい。


まだまだ発達障害についての勉強自体を始めたばかりだし、支援体制もどんなものがあるのか、どうやったら利用できるのか、今後どんな観点で学校選びを進めたらいいのか、右も左もわからない状態。

それどころか、発達障害持ちという事実を受けての気持ちの整理や、家族間で起こる様々な難しい局面にどうやって対応していくか、など、これから取り組まなければいけないことが目の前に積み重なっていて、めまいさえしそうである。


とりあえずこの2カ月間はペアレントトレーニングをやっていて、これだけでもかなりのインパクト!


学校との連携については、いずれ具体的に考えなければいけないんだろうなぁ。

ただ、発言や子供たちへの対応を1年間見てきた限りでは、来年もそのまま持ち上がりになる娘の担任は、発達障害についてそれほど深い理解がある感じではなく、子供の叱り方や問題があったときの対処法などについても「?」ということがちょくちょくあるので、下手にフライングしてこの先生に話をするのは得策ではないかなと思っている。

かといって支援を求めるのに先生の資質頼みというのもなんか違う気がするし…


うーん。結論は出ない。


担任の資質の問題、

娘がどう受け止めるか、の問題。


ひとまず抱えつつ、もう少しこのまま通常学級で、社会の縮図であるクラスの中で、様子を見る段階かなあ。