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なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【みんなそうだよ、私もあるよ】

発達障害当事者界隈で、「みんなそうだよ」「私もあるよ〜」「子どもなんてそんなもんだよ〜」と反射的に言われるの、ちょっと・・・という話が時々出る。

 

私も、なんどかつぶやいた経験がある。

まず親にカミングアウトしたときに、頭ごなしに否定されたりはしなかったけど、やっぱり上の3つは全部言われた。特に、孫のことに関してはやっぱり、「普通の子」にしたかったんだろうなあと思う。

言葉でそうは言わなかったけど、「あなたの気に病みすぎなんじゃないの、考え過ぎなんじゃないの、大丈夫だよこのくらい普通だよ」という慰め?メッセージの波動を、話している間浴び続けた。

 

これは当然、しんどいわけで。理解してもらえていない、簡単に言ってくれるな、と、反射的に悲しくなってしまう。

 

娘も、私も、困っている。娘の育児があまりに大変なことで気付くきっかけになったけれど、私自身もこれまであなたがたの保護のもとで育っていた間、実はいろいろと辛くて大変なこともあった。ずっと、そういう「性質」なんだと思っていた。だけど、どうやらこれは生まれつきの問題で、辛いこと大変なことが多いのも、理由があったんだ。だから、それを知った今はむしろ前よりも楽になっていて、これからより快適に生きて行くための方法を模索していて、それにできればあなたたちも力を貸してほしいんだ。

 

・・・そういうことを、まずは聞いて、受け止めてもらいたい、理解してほしい。

と、思った。

 

 で、やっぱり親や近親者でなくても、たとえばお母さん同士で「うちの子こんなに大変で〜」みたいなノリのときに、ちょこっと娘のエピソードなんて話しても、「え〜◯◯ちゃん、すごいしっかりしてるしそんな風に見えない」みたいなことを言われてしまい、そのたびに「うっ・・・」ってなる。

 

私は、自分自身が自他境界線が曖昧で、他人にわかってもらえて当然、という意識がたぶん人一倍強いし、大人になるにしたがいそのあたりのところは随分ましになってきたけれど、それでも「他人が自分を理解してくれること」への期待度は相当高い方だと思う(言うまでもなく不毛)。

 

だから、最初に書いたような、考えなしに発せられる「え〜みんなそうだよ〜」の類いのコメントにダメージをくらうことは多い。

 

ただ、この頃は少し感じ方が変わってきた。

 

最初「辛い辛過ぎるこの育児、異常」

→「何かやっぱりちょっと普通じゃない、相談してみよう」

→「え?娘、もしかしてADHDというやつ?」

→「だけじゃなく、アスペルガーっていうやつも?」

→「というかそもそも私、この人にとても似ているところが。わ、私も?」

→「がーーん。これは性格の問題じゃなかった!!」

 

これが起こったのがここ1年以内。

 

最初、わかったときのぱーっと霞が晴れる感じ、すごかった。

人生がひっくり返った気がした。それから、私は、娘は、自分たちを責め過ぎてきたんだ、これからは訳もわからず自己嫌悪しなくていい(すべきじゃない)んだ、と思うようになり、ショックもありつつ受容のプロセスを進んできた。

その過程で、たぶんこれまでずっと下げ続けてきた自己肯定感を取り戻し、補強する必要があって、「私たちはこうなっているんだ、だから理解してほしい」という欲求がとても強くなってきたのだと思う。

 

だけど、ここには危険もあるな、と思う。

私自身、前にもこの記事の中で書いたけれど↓ 

marumushix.hatenablog.com 

義理の弟夫婦の子どもが自閉症だと聞いたときは、「そんな、そこまで心配するように見えないけど」と思ったものである。それこそ反射的に。

 

こんなに多くの人が、ほぼお決まりのようにこういう反応をするということは、嘆くべきことでも責めるべきことでもなくて、ただ、「それが、多くの人の普通の反応」だというシンプルな事実なんだと思う。

前よりは理解を示してくれるようになった人も、初めは大体そこからスタートする。相手に当たり前のように深い理解を求めるのは、相手の愛情を、エネルギーを、親切心を、もらって当然のものと見なしているんじゃないか。

 

「他者をわかろう」というのは、とても自発的な心の働きで、それを無理強いすることはできない。何を知りたいと思うか、誰をもっとわかりたいと思うか、それは各人の自由で、「◯◯に関心がないなんて!」と糾弾するのでは、どっかの熱心なナントカ信者とかキラキラ正義絶対主義者とかと同じになってしまうかもしれない。

 

だから、身近な人にもっと自分のことをわかって欲しければ、「わかってよ!」と要求するのではなくて、「こういうとき、私はこうなっているのです」と、相手の理解の助けになるよう、淡々と伝え続けていく、ということに努めればいいんじゃないだろうか。相手にとって、「わけのわからない」システムになっている自分の取扱説明を、伝える努力をする。その働きかけがあって初めて、相手もこちらの波打ち際へ、徐々に歩み寄ってきてくれるのではないかと思う。

 

自他境界線が曖昧で、気を抜いているとすぐにラインを踏み越えてしまい、家族に要求をぶつけてしまう自分への、自戒の意味で書きました。