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なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【そういえば感情を表現するのは苦手だった】

私は、言葉による表現には、わりと思い入れがある方だと思います。

むかしむかし塾講師のアルバイトをしていたり、その後もちょっとだけ「教える」仕事をしたことがあり、その際には説明がわかりやすい、とけっこう言ってもらいました。

それから、決して社交的ではないけれど、近しい人と話すときには、かなり語りに熱が入ってしまう傾向があり、相手によってはすごく「お喋り」にもなります。思っていることそのままか、できるだけそれに近いものを伝えたい、という欲求が強いのです。

また、3年ほどアメリカに住んでいたことがあるのですが、私にとって「母国語でない言語を習得する」という過程は、決して楽しいだけではなくむしろ脳みそを絞られ続けるような苦悩の連続ではあれど、それでもいつも「面白さ」が勝っていました。

 

基本的に思考過多で、だいたいは認知がずれている妄想のように思うのですが、とにかくいつも頭の中がぐるぐるぐるぐるしているので、これを常に言葉にして整理して吐き出していないと、頭の中が混沌としてパンクしそうになります。

だから、私の中で、自分のメモでも、人に話すのでも、ツイッターやブログに書くのでも、あるいは何処にも出さなくても「言葉」のかたちで頭のなかで編集してみるだけでもいいのですが、とにかく「言語化」は不可欠な作業です。

 

そういう性質なので、私は自分で「思ったこと感じたことを相当言葉にして出すタイプの人間だ」という認識がありました。ところが、この頃娘を見ていて、この認識は違っていたかも、と感じるようになりました。

 

当たり前ですが、ぐるぐるする思考を言語化することと、感情を言語化することは、全く別のことです。

 

この間、娘が家に友達を呼んで遊んでいたとき、娘は嫌なときははっきりと、「それは嫌だ」とか言うんですね。それで、「あれ?この子は意外と、はっきりものを人に言えるんだなあ」と思いました。

それ以来、ちょっと気をつけて見ていたら、娘は私に対しても、「恥ずかしい」とか、「うれしい」とか、「ちょっと悲しい」とか、結構、感じたことをポーンと口に出すことに気づきました。

でもこれは、以前よりも少しずつ、そういう表現が増えてきたから、おや?と思うようになったのです。以前は彼女はよく、うまく言えないことを手紙で表して渡してきて、その内容はしばしば、どきっとするほど重い内容のこともありました。最近でも、たまーに手紙は書いてきますが。

つまりそういう感情表現が、以前は手紙というかたちにとどまっていたのが、だんだん「感じたときに外に出す」ことが増えてきたのかなあ、と思います。

 

それで、私はどうだったかなあと思い返してみると、私は小学校2~3年頃から家ではほぼしゃべらなくなり(親は反抗期と思っていた)、その時期はよく母親に、話すのは恥ずかしいし癪なので、何か思うことがあるときには手紙を書いて2階から階段へポトリと落としていました。

そしてその後も、私は娘のように「だんだん感情を外に表す」ようにはならず、感情の処理については基本的に「保留」にするようになったまま、今に至っているように思うのです。どうしても処理できなくてアウトプットする必要があるときには、後で文字にして書く、という形をとってきたのですね。

 

小学生のときの処世術は、誰とも特別な仲良しやグループにならない、永世中立国みたいな位置に落ち着く、というクール路線でした。それから大人になっても、性格なのか、感情は生まれるけれど瞬時に解析・認識できないためとりあえず保留にするというスタイルが定着してしまったのか、とにかく「感情を表に表す」ことは今でも少ないのかな、と思います。

でもそれは、「感情が薄い」というのとはちょっと違います。もやもやとして、輪郭のつかめない妙な感覚は、常にやってきます。ただそれを「こういう感情」とラべリングして、納得して先に進む、ということが苦手なのです。

 

また、娘の出産後に私を襲った「怒り」の感情の燃え盛りぶりは、本当に私のキャパを針が振り切れるほど超えるものでした。マグマのような地獄の業火が、何年も常に自分自身を焼き焦がしていました。これも、「感情」を処理できなかった自分の性質によるものだと思います。

 

よく、自己啓発系の言い方で「感情は味わいきってから手放す」というのがありますが、結局「今襲われている感情が何なのか」の正体をパッとつかむことができないので、「味わいきる」こともできないわけです。

対象化して、もう見切ったものとして前へ進めるようになれば、感情との付き合いがもっと上手になるのかなあ、と。

 

前よりも、感情そのものを表現するようになってきた娘を見ていて、「すごいなあ、私と違うなあ」と感じます。おそらく、この「感情の処理」という部分に関しては、私よりも娘の方が上手にやれるようになるのではないかな、そうだといいなあ、と思っています。