なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【バリー・プリザント博士のインタビュー記事を訳してみました】

2月28日に、SCERTS研究会(http://scerts.jp/)が主催する「第5回SCERTS研究会例会」に参加してきました。

SCERTSモデルとは、「自閉症スペクトラム障害のある人たちの社会コミュニケーションや情動調整の能力を支援するための包括的、学際的アプローチ」です。

 

その開発を主に担ったアメリカのプリザント博士の著作、「UNIQUELY HUMAN」を少し前に読んで、いいなあと思っていたため、今回そのSCERTSの研究会が開催されることを知って、専門家でも関係者でもないけれど、思い切って、いち当事者・保護者として乗り込んできました。たいへん勉強になりました。

 

さて、そのSCERTS研究会のツイッターアカウント(@ScertsCollegium)で先日、こちらの記事が紹介されていました。 http://wrvo.org/post/what-having-autism-really-means-comparing-perceptions#stream/0

 

アメリカのヘルスケアに関する情報を取り上げるラジオプログラムでプリザント博士がインタビューに答えた内容が、記事にまとめられたもののようです。

 

「UNIQUELY HUMAN」は良い本なので、内容や著者に関することが少しでもご紹介できればなあ、と思い、今回この記事を訳してみました。

 

《注》

※分かりにくかったり、読みにくくなりそうな部分は一部、省略したり意訳したりしています。

※“people with autism/the disorder”は、統一して「自閉症者」と訳しています。

※記事の中盤に挿入された音声ファイル(プリザント博士へのインタビュー)があり、その内容と記事本文で重複しているところは省略しています。

※音声ファイル中で、記事本文では言及していない、医療に関わる財政的な問題や、診断が増えているのか自閉症が増えているのか、といった議論についてのトピックは省略しています。

※記事タイトルの一部の訳がうまく思いつかず、dicegeist@dicegeistさんに相談させていただきました!ありがとうございました。

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自閉症である、ということは実際どういうことなのでしょう?

 

 〜従来の見方と、新しい見方〜」

 

人間の脳は4つの「葉」という部分(「前頭葉」など)に分かれており、私たちの五感や性格を統制しています。もしこれらの各部分がそれぞれバラバラに機能して、一緒に働くことができなかったらどうなるでしょう。それはまるで、精鋭選手たちばかり集めたフットボールチームで、それぞれが「自分の戦略が最高だ」と思って行動し、他の選手の狙いを全く理解していなかったために、結局は負けてしまう、というようなものです。

自閉症とは、この例えのようなもので、自閉症者にとっては「当たり前にするのが難しいこと」があります。しかし、自閉症だからといって、「普通の人」にできることがみんなできないということではありません。

 

自閉症分野の臨床家/コンサルタント/研究者であり、「UNIQUELY HUMAN」の著者であるバリー・プリザント博士が、自閉症であるとはどういうことかについて、また何故、自閉症という障害に対する一般的な見方をうち壊す必要があるのか、について話してくれました。

 

<インタビュー音源抜粋・要約>

 

自閉症は長い間、「できないことのチェックリスト」で診断されてきました。治療や教育の目的は、「いかに症状をなくすか」ということでした。

これに対し「UNIQUELY HUMAN」では、全く違った見方を提示しています。これまで「取り除くべき自閉的行動」とされてきた行動が、実際は、自閉症者が混乱に満ちた世界に対応するための「対処法」である、という見方です。これを「できないこと」として捉えると、「治療すべきターゲット」になってしまうのです。

 

たとえば自閉症者が自分の興味のあることについて延々しゃべり続けてしまう、というようなことがあります。これは従来「obsessive interest(強迫的な関心)」と呼ばれてきましたが、ある自閉症者の母親から、「enthusiasm(熱中、情熱)」としてはどうか、という言い換えの提案がありました。

もちろんこうした「熱中」が日常の活動に支障をきたすこともありますが、それを生かすクリエイティブな方法を見つけることが重要であり、実際多くの家族や支援者が、実にクリエイティブにそうした「熱中」する性質を、学業の場でも、社会的コミュニケーションの場でも生かせるような手助けをしているのです。

 

自閉症者はしばしば特定の分野で、いわゆる「定型者」よりも秀でた能力を発揮します。そうしたときにたとえば雇用者側が「自閉症者はできないことが多く、扱いが難しい」と雇用を恐れてしまうことは、自閉症者の機会を制限してしまうことになります。

 

私はこれまでにたくさんの自閉症者と関わってきましたが、彼らは実におもしろい、魅力的な人たちです。自閉症は従来考えられてきたような「おそろしいもの」「悲劇」ではなく、彼らの未来には大きな可能性があるのですが、その可能性が形になるためには適切な理解とサポートが必要です。これまでの自閉症に対する見方を、見直す必要があります。確かに困難なこともありますが、私たちは自閉症者を学校や職場から排除するのではなく、共に生きることで、多くを学ぶことができます。

 

* * * * * * * *  以下、プリザント博士のインタビューコメント * * * * * * * * * * * * * * * 

 

自閉症は脳のすべての部分に影響するため、その症状は多岐にわたり、それはしばしば「自閉症者ができないことのリスト」として定義されます。実に長い間、自閉症の診断にはそうしたアプローチが取られてきましたし、未だにそうなのです。またその状況は、教育や治療においても同じことが言えます。

 

しかし、「自閉症を定義する症状」などというものは一つもありません。「人間であること」を定義する症状が一つもないように、です。私たちはみな、一人一人ユニークな(唯一の)存在なのです。

 

「症状」だと見えていることのほとんどは、世界に圧倒されてしまっていっぱいいっぱいだったり、混乱してしまったりしたときの、「対処法」です。自閉症でない人がストレスにさらされたときに機嫌が悪くなるのと同じように、自閉症者は脳が認識したことをうまく理解できないときに、礼を失してしまったり、うまくコミュニケーションが取れないことがあります。

 

また、自閉症者もそうでない人も同じようにする行動があっても、それが自閉症者のものである場合は「症状」として見られるのです。たとえば誰でも日常的に、周りに誰もいないときに独り言を言ったり、頭の中で独り言を言ったりします。自閉症者も同じように独り言を言いますが、それを頭の中にとどめておくことが難しく、周りに人がいる場でも言葉に出してしまう場合がよくあります。だからといって、それが不適切な行動であるとは言えません。

 

「自閉的な行動」などないのです。それらはみな、「人間の行動」です。ときどきは、悩みのタネになる行動もあるかもしれませんが、そうした行動は自閉症でない人にも見られるものなのです。 そのことをわかってもらえれば、自閉症の子どもを持つ親であれ、当事者であれ、自閉症者と頻繁に関わる機会のある人であれ、人々の自閉症に対する「恐れ」が取り除かれるのではないでしょうか。

 

一般的に、自閉症はとても恐ろしいものだと考えられています。確かに自閉症は、本人にとっても家族にとっても、非常な困難となり得ます。しかし他方で、私は30年近くにわたり自閉症の子どもを持つ多くの家族と関わっているのですが、その子どもたちが大人になった今、じつに「うまくやっている」ということを、私は著書を通して伝えたいと思っています。

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プリザント博士は、自閉症に関する研究と著作を通して、家で、学校で、あるいは労働者として、自閉症の人々により多くの機会を創出することを目指しています。

 

 (以上)