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なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【バリー・プリザント博士のインタビュー記事を訳してみました】

2月28日に、SCERTS研究会(http://scerts.jp/)が主催する「第5回SCERTS研究会例会」に参加してきました。

SCERTSモデルとは、「自閉症スペクトラム障害のある人たちの社会コミュニケーションや情動調整の能力を支援するための包括的、学際的アプローチ」です。

 

その開発を主に担ったアメリカのプリザント博士の著作、「UNIQUELY HUMAN」を少し前に読んで、いいなあと思っていたため、今回そのSCERTSの研究会が開催されることを知って、専門家でも関係者でもないけれど、思い切って、いち当事者・保護者として乗り込んできました。たいへん勉強になりました。

 

さて、そのSCERTS研究会のツイッターアカウント(@ScertsCollegium)で先日、こちらの記事が紹介されていました。 http://wrvo.org/post/what-having-autism-really-means-comparing-perceptions#stream/0

 

アメリカのヘルスケアに関する情報を取り上げるラジオプログラムでプリザント博士がインタビューに答えた内容が、記事にまとめられたもののようです。

 

「UNIQUELY HUMAN」は良い本なので、内容や著者に関することが少しでもご紹介できればなあ、と思い、今回この記事を訳してみました。

 

《注》

※分かりにくかったり、読みにくくなりそうな部分は一部、省略したり意訳したりしています。

※“people with autism/the disorder”は、統一して「自閉症者」と訳しています。

※記事の中盤に挿入された音声ファイル(プリザント博士へのインタビュー)があり、その内容と記事本文で重複しているところは省略しています。

※音声ファイル中で、記事本文では言及していない、医療に関わる財政的な問題や、診断が増えているのか自閉症が増えているのか、といった議論についてのトピックは省略しています。

※記事タイトルの一部の訳がうまく思いつかず、dicegeist@dicegeistさんに相談させていただきました!ありがとうございました。

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自閉症である、ということは実際どういうことなのでしょう?

 

 〜従来の見方と、新しい見方〜」

 

人間の脳は4つの「葉」という部分(「前頭葉」など)に分かれており、私たちの五感や性格を統制しています。もしこれらの各部分がそれぞれバラバラに機能して、一緒に働くことができなかったらどうなるでしょう。それはまるで、精鋭選手たちばかり集めたフットボールチームで、それぞれが「自分の戦略が最高だ」と思って行動し、他の選手の狙いを全く理解していなかったために、結局は負けてしまう、というようなものです。

自閉症とは、この例えのようなもので、自閉症者にとっては「当たり前にするのが難しいこと」があります。しかし、自閉症だからといって、「普通の人」にできることがみんなできないということではありません。

 

自閉症分野の臨床家/コンサルタント/研究者であり、「UNIQUELY HUMAN」の著者であるバリー・プリザント博士が、自閉症であるとはどういうことかについて、また何故、自閉症という障害に対する一般的な見方をうち壊す必要があるのか、について話してくれました。

 

<インタビュー音源抜粋・要約>

 

自閉症は長い間、「できないことのチェックリスト」で診断されてきました。治療や教育の目的は、「いかに症状をなくすか」ということでした。

これに対し「UNIQUELY HUMAN」では、全く違った見方を提示しています。これまで「取り除くべき自閉的行動」とされてきた行動が、実際は、自閉症者が混乱に満ちた世界に対応するための「対処法」である、という見方です。これを「できないこと」として捉えると、「治療すべきターゲット」になってしまうのです。

 

たとえば自閉症者が自分の興味のあることについて延々しゃべり続けてしまう、というようなことがあります。これは従来「obsessive interest(強迫的な関心)」と呼ばれてきましたが、ある自閉症者の母親から、「enthusiasm(熱中、情熱)」としてはどうか、という言い換えの提案がありました。

もちろんこうした「熱中」が日常の活動に支障をきたすこともありますが、それを生かすクリエイティブな方法を見つけることが重要であり、実際多くの家族や支援者が、実にクリエイティブにそうした「熱中」する性質を、学業の場でも、社会的コミュニケーションの場でも生かせるような手助けをしているのです。

 

自閉症者はしばしば特定の分野で、いわゆる「定型者」よりも秀でた能力を発揮します。そうしたときにたとえば雇用者側が「自閉症者はできないことが多く、扱いが難しい」と雇用を恐れてしまうことは、自閉症者の機会を制限してしまうことになります。

 

私はこれまでにたくさんの自閉症者と関わってきましたが、彼らは実におもしろい、魅力的な人たちです。自閉症は従来考えられてきたような「おそろしいもの」「悲劇」ではなく、彼らの未来には大きな可能性があるのですが、その可能性が形になるためには適切な理解とサポートが必要です。これまでの自閉症に対する見方を、見直す必要があります。確かに困難なこともありますが、私たちは自閉症者を学校や職場から排除するのではなく、共に生きることで、多くを学ぶことができます。

 

* * * * * * * *  以下、プリザント博士のインタビューコメント * * * * * * * * * * * * * * * 

 

自閉症は脳のすべての部分に影響するため、その症状は多岐にわたり、それはしばしば「自閉症者ができないことのリスト」として定義されます。実に長い間、自閉症の診断にはそうしたアプローチが取られてきましたし、未だにそうなのです。またその状況は、教育や治療においても同じことが言えます。

 

しかし、「自閉症を定義する症状」などというものは一つもありません。「人間であること」を定義する症状が一つもないように、です。私たちはみな、一人一人ユニークな(唯一の)存在なのです。

 

「症状」だと見えていることのほとんどは、世界に圧倒されてしまっていっぱいいっぱいだったり、混乱してしまったりしたときの、「対処法」です。自閉症でない人がストレスにさらされたときに機嫌が悪くなるのと同じように、自閉症者は脳が認識したことをうまく理解できないときに、礼を失してしまったり、うまくコミュニケーションが取れないことがあります。

 

また、自閉症者もそうでない人も同じようにする行動があっても、それが自閉症者のものである場合は「症状」として見られるのです。たとえば誰でも日常的に、周りに誰もいないときに独り言を言ったり、頭の中で独り言を言ったりします。自閉症者も同じように独り言を言いますが、それを頭の中にとどめておくことが難しく、周りに人がいる場でも言葉に出してしまう場合がよくあります。だからといって、それが不適切な行動であるとは言えません。

 

「自閉的な行動」などないのです。それらはみな、「人間の行動」です。ときどきは、悩みのタネになる行動もあるかもしれませんが、そうした行動は自閉症でない人にも見られるものなのです。 そのことをわかってもらえれば、自閉症の子どもを持つ親であれ、当事者であれ、自閉症者と頻繁に関わる機会のある人であれ、人々の自閉症に対する「恐れ」が取り除かれるのではないでしょうか。

 

一般的に、自閉症はとても恐ろしいものだと考えられています。確かに自閉症は、本人にとっても家族にとっても、非常な困難となり得ます。しかし他方で、私は30年近くにわたり自閉症の子どもを持つ多くの家族と関わっているのですが、その子どもたちが大人になった今、じつに「うまくやっている」ということを、私は著書を通して伝えたいと思っています。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

プリザント博士は、自閉症に関する研究と著作を通して、家で、学校で、あるいは労働者として、自閉症の人々により多くの機会を創出することを目指しています。

 

 (以上)

 

【寂しさ、ってなかなかややこしいです】

ずっとブログをほったらかしにしていて、今見たら最後にアップしたのは4か月前でした!

 

さて。今日は、なんと、「寂しさ」について書こうと思います。

 

発達障害ブログで「寂しさ」、着地点はだいじょうぶかな…。まあ、「人生半ばで発達障害に気づいて以来、新しく見える世界を、観察していく」という主旨のブログなので、だいじょうぶでしょう。もうハードル上げると一生書かなそうなので、さくっと見切り発車で。(すみません、かなり長くなりそうです。)

 

何度かここでも書いていますが、全体的に感情面の成長がとても遅かった私は、思春期~青年期になってもずっと、「うすい半透明の繭に入っているような感覚」をどこかで持っていました。ちなみによく言われる「傷つく」ということの中身も、ずっとよくわかりませんでした。

今日は、そうした「全体的に感情面でぼんやりしていた」私の、「寂しさ」について考察してみようと思っています。

 

まず、私は長い間、「寂しい」という感情がよくわかりませんでした。どこの家にもそれなりにいろいろ抱えているものはある、ということは当然のこととして脇に置いておくと、私が育った家庭環境はたぶん割と恵まれていた方だと思うので、成育歴からくるトラウマ的な寂しさみたいなものはもともとなかったです。

普通に、一見人並みに友達づきあいをしたり、大学生になってからは男の人とつき合ったりしたけれど、その中で、テレビや本や漫画や友達同士の話の中でよく見聞きした「寂しさ」にまつわることが、ピンと来ませんでした。

 

たとえば、

「クリスマスに彼氏がいなくて1人は寂しい」

「○○ちゃんと○○ちゃんが私抜きですごく仲良くなっていて寂しい」

みたいなことが、「???」だった。。

あ、たぶん今でも基本的な感覚は変わってないんですが。

 

世にいう恋愛経験もいくつかしたけれど、それも、「恋愛」と呼べるのかどうか…相手を魅力的と思うかどうかのポイントは「話をしていて面白い」なので、いわゆる「ロマンチック」みたいなのは苦手です。いつも一緒にいたい、とか、やきもちを焼く、とかもほぼなかったです。それを悩んでいたというようなことでもなくて、「私は淡泊なんだな、冷たいのかな」という感じでした。

 

さて、そんな自己認識でずっと来たのですが、ケッコン、出産とそれに続く怒涛の育児体験、そして、事件とも呼ぶべき自分自身の大がかりな再発見、を通ってきて、ここにきて何やら今になって「寂しさ」という感情が立ち上がってきている、のです!

 

ふむふむこれが有名な寂しさというやつか、なるほどこれは想像以上に結構なやっかいなシロモノですね…コマッタね。というところです。

 

でもよく考えてみると、この寂しさの感じは、ごく最近唐突に湧き上がってきたものではありません。じっとここ最近の過去を観察してみると、たぶんその芽は結婚生活が始まった後くらいに確認できて、その後娘が生まれてから着々と育ってきていました。

 

この「寂しさ」というやつ、ちょっと一筋縄ではいかんな、早めに対処しておかないと後でこじらせそう、と私の直感が判断したので、気づいた今のタイミングで一度その正体をあぶり出す試み、が、この記事です。

 

敵はざっくりと一つの言葉で言い表すにはあまりにたくさんの要素から成り立っているお化けっぽいので、ひとまず今日は切り口として、「こいつがどこから来てるのか」を考えます。

 

スターウォーズじゃないけれど、まず派手なところ、最初に思いつくところから書いて、エピソード1に繋げてみようかな、っと。

 

ツイッター依存と禁断症状

 

ええと、まずここ一年ほどの私のツイ廃具合は、相当ひどいものがあります。完全に、本物の、依存の域です。先日このあたりのことを連続ツイートしたので、そこからちょっと引用。

 

「自己肯定感が少しずつ育つために、私にとってこのツイッターの場が、大事な砦になりました。そうしてここが居心地よく、学びもあって、宝探しもできる最高の遊び場であるとわかると、当然の結果としてこの魔法の国に入り浸るようになりました。」

 

けれども、持ち前の衝動性が暴走するままにのめり込み、あいまいな境界線をさらに開け放ってどんどん自我が膨張するのに任せていくうちに、

「ただ、依存しきって離れられないのは、たぶん自分が思っているほど、幸せな状態ではない。麻薬に執着するのはきっと本当は別のつらさになっている。」

と感じるようになりました。

 

楽しい。刺激的。出会いも、共感してもらえる快感も、知識欲が満たされる楽しさも。これまでにないほど濃く、甘い蜜です。おそらく、ツイッターを知る以前にはなかった、「わかってもらえる心地よさ」が、一番の中毒の源だと思います。でもなぜか、楽しいと、それに比例して寂しさも増幅していく気がする。思うように返事が来なかったり、話したいときにタイムラインに誰もいないと、「寂しいな」と思うようになりました。

こんなことは、これまであまり感じたことがなかった…。

 

この、ツイッター依存から、少し考えを進めて。

 

②「甘えたかった自分」が出てきた

 

約1年半ほど前から、娘のことをきっかけにすごい勢いで自分の発達障害について掘り進めて来ました。私には特に頼りにできる支援の窓口があったわけではないので、本で情報収集はしましたが、何よりツイッターでの仲間たちの支えがずっと私の後押しをしてくれました。

長い間、意志が弱くて文句たれでダメ人間なんだとずっと自分自身を責めてきたけれど、ここでたくさん助言をもらったり、慰められたり、勇気をもらったりするうちに、「実はけっこう私、これまでがんばってきたんじゃないか?」と思えるようになってきました。そして、ここがポイントだと思うのですが、許され、受け入れられる場所があって気が緩んだことで、その、自分を肯定したい欲望がより鮮明に浮かび上がってきたというか。

 自分で自分を認めてあげたい。でも、それってそんなに簡単なことじゃない。やっぱり自分ではない誰かに、要するに「いい子いい子」してほしかった(私がやっと娘に少し、そういう風にできたみたいに)。

ちいさい自分が、泣いていて、「今までがまんしてきた。誰もねぎらってくれなかった。そろそろ誰か甘えさせて、慰めて」と言っている。

 

これまで淡泊、冷静キャラで来たのは、半分は感情面の発達の遅れかもしれないけれど、あとの半分は、そういう心細さに押しつぶされないよう何とか自分を保っているための、鎧だったのかもしれません。

 

ふむ、ちょっと整理できてきました。

 

①と②が承認欲求の話であるとすれば、つぎは自分の中にもとからある、「私は何者?」という不安にまつわる話になるのだと思います。

 

③もとからある虚無感、「わたしは何者?」という不安

 

発達特性持ち(我知らず)の子どもが幼少期~思春期~青年期を生き抜き、途中二次障害に直面して一応乗り越え、結婚し、子を産み、これまた発達特性持ちのとびきり手を焼く子を一応生かして小学生まで育て…という怒涛のサバイバル半生は、振り返ればジェットコースターそのもので、虚無感はベースにあれど、そこに浸っているヒマと余裕はありませんでした。で、やっとこさ人生も半ばというところでほんの少し、自分のことがわかり、扱い方のわからない暴れ馬のような感情の奴隷になっていたところからふっと抜けて、すこし見通しのきく原っぱみたいなところに出た、というのが今の状況です。

そしたらそこにあったのは、もともとあった虚無でした。

虚無、といっても、じつはそれほどネガティブな意味合いで書いてるわけではないです。

 

先日ツイッターで引用紹介したのですが、生物学者の福岡伸一さんが、学者とは何者かについて話したインタビュー記事があります。(https://twitter.com/marumushi40/status/69510524012777881

「名付けていく行為に熱中するのは、『世界の成り立ち』を知りたいから。この宇宙はどうなっていて、自分はどんな存在で、どこに向かっているのか。(中略)モノに名前を付けるという行為は、真っ白な地図に地名を記し、最終的に自分の立ち位置を知るためにやっているんです」

…「世界のマッピング」の話です。

 

子どもの頃から、私はずっとどこかで、立ち位置がわからない不安を抱えていました。世界の中で自分というものの座標を確認するために、いつも必死で手がかりを探していました。特性から来るものだと思いますが、どうも周りのみんなのようには、内側から自動的にいろんなものが湧いてこない。「自明のもの」がない。

世界との関わりでは、あくまで相対的なやり方で調べないと、「自分」が何者でどこにいるのかわからない。

 

そんなふうにずっと不安の中で生きてきて、

発達障害なんだそうだったのか

→しばらく自己分析にハマる(熱中できること)

→何となく一段落感(これまでも、「ハマりごと」サイクルは大体1~2年スパン)

→気づいたらまたポッカリ感

 

な、今です。

 

人に認められたい、わかってほしい、という寂しさとはまた少し違う、

心がからっぽであることを埋めてくれる何かへの飢餓感、とでもいうような寂しさです。根っこは不安です。

 

「人間の脳は苦を与えられるよりも、刺激がないことが一番辛い」というようなことを僧侶の小池龍之介さんが言っていましたが、いつか小池さんの座禅教室に参加したとき、この刺激のない、からっぽに耐えることのあまりの苦しさに絶句したものでした。

 

そもそも、一切皆空なのです。(あっ話が大きくなってきた)

私は特性から来る必然として結構そのことに自覚的というか、ひりひりとその、厳しく且つシンプルな真実を横目に見ながら生きてきた気がします。

 

寂しくて当たり前なこの世界。でも、なんだかこのところはいろいろな状況が重なって、たぶん生まれて初めて、はっきりと、どかーん!と、「寂しさ」と正面から向き合ってしまったのでした。

 

ちょっと、観念的な方向に膨らんでいきそうなので、このあたりで終わります。

でも、言葉にすることで、今自分が味わっている「寂しさ」の輪郭が見えてきたようで、少し落ち着きました。

 

【娘の発達障害に気づいてから、約一年たちました】

今日は、二か月ぶりに市の教育相談室でのカウンセリングでした。

 

娘のことで、初めて教育相談室を訪ねたのは昨年の九月なので、だいたい一年になります。

夏休み中の個別面談で担任の先生に娘の特性と苦手なこと、でも本人は努力していること、を伝えたこともあり、最近の娘は学校で注意されることも減って、特に大きな問題はなくやっています。また、今月から大学の発達臨床センターで、同じようなタイプのお子さんたちとのグループ療育にも参加し始めて、こちらでもきっとこれからいろいろ学ぶことができるだろうと思います。

そういうわけで、今日のカウンセリングは特に大きな相談ごとがあるわけではなく、行くのを迷ったくらいでした。

 

でも、相談を始めた当初からこれまでの変化とか、今の学校での様子、友達との関わり、家での私との関係などについて話をしているうちに、この一年での娘と自分の変化を、改めて実感することができました。

 

相談させていただいている心理士さんの言うには、「おかあさんの顔つきが、全然最初と違いますよね」、と。

最初は、表情に怒りがにじみ出ていて、ああ、怒りを出したいんだなあ、と思ったそうです。それが、娘の特性がわかって、加えて自分自身の「研究」をし出してから、だんだんと状況を受け入れることができるようになったのでは、と言ってもらいました。また、最初のうちは私が娘の行動をすべて思い通りにコントロールしたがっていることが見て取れた、と。これは今だから話してくれたのだと思います。

 

確かに、思い返すと当時はどうにも自分の怒りが制御できず、娘といると常に一触即発の状態でピリピリして、疲弊しきっていました。実際に毎日のようにとんでもない追い詰め方をしていたし、このままでは私が娘の人格を破壊してしまう、と思って、藁をもすがる気持ちで相談室に駆け込んだのでした。

 

その頃から比べると、格段に状況は改善しています。もちろん娘が朝シャキッとおきられるようになったり、忘れ物をしなくなったり、朝の支度がスムーズにできるようになったりしたわけではありません。今でも私は基本怒りっぽいし、度を超えてキレてしまうことも時々あります。それでも、前のように「どうしてこうなるのかわからない」というところはクリアしています。また、感情が振り切れてしまっても時間がたてば収まることをどこかでわかっているし、「これは娘の問題じゃない、自分の自他境界線のあいまいさとコントロール衝動が主な原因だ」ということも自覚があるので、後になれば消化できるようになってきたのだと思います。

 

 ツイッターで交流させていただいている、発達障害のあるお子さんのおかあさんたちはみなさん常にいろいろ勉強して工夫して、お子さんのことに真剣に向き合っていて、私は面倒くさがりだし飽きっぽいし、自分が第一だから子どものためにそこまで自分のエネルギーを割けないなあ、情けないなあ、と思っていましたが、ぼんやりしてて何もできていない、と思いながらも一年たって振り返ってみると、その変化の大きさに驚きます。

 

ぱっと見にはわかりにくいけれど、それだけ、ずいぶん歩いてきたんだ、ということがわかって、今日はとても感慨深かったです。

 

 

【目の前の風景を一枚の静止画として眺めること】

秋分も過ぎ、ひぐらしが鳴くようになって、いわし雲なんか出て、なんだか切ない夏の終わりの入口。

 

季節の変わり目にやたらとセンチになるのは、感覚過敏が多分に影響してるのでしょうか。気圧や風が変わったり。

 

というわけで今日はちょっとポエム入っちゃうかもしれません。スミマセン。

 

私は、おそらく生きている実感がふつうよりちょっとだけ薄いです。実感、というと痛みとかの感覚が薄いという意味に読めちゃうかな。もう少し説明すると、「なんのために」がわかりにくいです。特性上、子どもの頃からずっとそうなのだと思うのですが、いろんなことの「意味」や「意義」がわからないと感じることが多くて、なんでこれが必要なのかなあ、なんでこれやるのかなあ、ということの連続なのです。で、そういうのの行きつくところが、「なんで生きてるのかなあ」なわけです。

 

「意味がわかんない」というのは、つまり自分の中からいろんな動機を自然発生させることが難しいということです。

 

遊園地に行ったら楽しい、海に泳ぎに行っても楽しい、スポーツで勝ったら嬉しい、集まって何かを一緒に作り上げるのはやりがいがある、そういう、「ふつうやったら楽しかったり嬉しかったり感動したりするでしょ」ということを、自動的にそう思えないので、いつもどこか、半分ぼんやりしているところがあります。

あと、「これは楽しいはず、楽しむところ」という強迫観念に削られて、疲れの方が大きくなってしまいます。

 

もちろん、自分なりの琴線はあります。何がスイッチを押すのかわかりませんが、これはいいなと思ったものには胸をえぐられるくらい感動したりします。そういうときには、その「感動の源」は自他境界線の境をあっさり越えて襲ってくるので、逆に感情が揺さぶられすぎて辛い、通常運転に戻るまでにえらく時間がかかる、という面倒な体質です。

 

さて。半分ぼんやりして、虚無の靄(もや)みたいなものを抱えて生きている私にとって、「映像の印象」は、生きている実感みたいなものを一番感じさせてくれるものです。「刻み付けられる」という感じです。

夏の入道雲とか、星空とか、子どもたちの遊んでいるふとした風景とか、そうした一瞬の映像が、すごい衝撃で刺さることがあります。おそらく視覚優位の認知特性があるのでしょう。

 

上の娘を産んだときに、「虚無…」とか「なんかいつもぼんやりしてる」とか言ってられなくて、発達特性どうしの獣のようなぶつかり合いで精神が壊れるかと思うところまで行って、ただでさえ生きる意味なんてわからないのにとにかく生き続ける、しかも赤子も生かし続ける、ということが目下最大の目標になるという意味不明の人生のフェイズにぶちあたり、何が何だかな状態になって、スピやら仏教やらナチュラル信仰やらいろんなものに救いを求めた時期がありました。迷走したなあ…。

 

そんな中で、ある自己啓発系を突き進んでいる友人に、荒れ狂う感情の嵐から抜け出すテクニック的なものを教わったことがあります。教わったことは、リアルタイムでは実際かなり役立ちました。大半はもう忘れてしまいましたが、今でも意識的に使うとっておきの方法がひとつだけあります。

 

それは、「目の前の風景を一枚の静止画として眺めること」。単なる流れていく風景ではなく、一秒後に世界が消えてなくなるとしたら最後に残る記憶となる風景として。宇宙の気の遠くなる時間の流れの中で、二度とこの世界に再現されない、出会えない、一期一会の風景として。

 

これをするとね、なんかなあ、生きてんのって…しんどいなあ、よくわかんないなあ、というときに、とてもいいんですよ。

意味とか、よくわからなくてもよくて。今見ているものを静止画として、写真に撮るみたいに刻み付ける。その一瞬を、ただ味わう。ちょっとだけ意識的にやると、心の準備をして開いている分、受け取れる実感がとても強くなります。あーきれい。尊い。この瞬間をただ流してしまわず、刻み付けてよかった。と思えます。

それの連続体が生きているということで、いいかなあ、と思うのです。

 

【そういえば感情を表現するのは苦手だった】

私は、言葉による表現には、わりと思い入れがある方だと思います。

むかしむかし塾講師のアルバイトをしていたり、その後もちょっとだけ「教える」仕事をしたことがあり、その際には説明がわかりやすい、とけっこう言ってもらいました。

それから、決して社交的ではないけれど、近しい人と話すときには、かなり語りに熱が入ってしまう傾向があり、相手によってはすごく「お喋り」にもなります。思っていることそのままか、できるだけそれに近いものを伝えたい、という欲求が強いのです。

また、3年ほどアメリカに住んでいたことがあるのですが、私にとって「母国語でない言語を習得する」という過程は、決して楽しいだけではなくむしろ脳みそを絞られ続けるような苦悩の連続ではあれど、それでもいつも「面白さ」が勝っていました。

 

基本的に思考過多で、だいたいは認知がずれている妄想のように思うのですが、とにかくいつも頭の中がぐるぐるぐるぐるしているので、これを常に言葉にして整理して吐き出していないと、頭の中が混沌としてパンクしそうになります。

だから、私の中で、自分のメモでも、人に話すのでも、ツイッターやブログに書くのでも、あるいは何処にも出さなくても「言葉」のかたちで頭のなかで編集してみるだけでもいいのですが、とにかく「言語化」は不可欠な作業です。

 

そういう性質なので、私は自分で「思ったこと感じたことを相当言葉にして出すタイプの人間だ」という認識がありました。ところが、この頃娘を見ていて、この認識は違っていたかも、と感じるようになりました。

 

当たり前ですが、ぐるぐるする思考を言語化することと、感情を言語化することは、全く別のことです。

 

この間、娘が家に友達を呼んで遊んでいたとき、娘は嫌なときははっきりと、「それは嫌だ」とか言うんですね。それで、「あれ?この子は意外と、はっきりものを人に言えるんだなあ」と思いました。

それ以来、ちょっと気をつけて見ていたら、娘は私に対しても、「恥ずかしい」とか、「うれしい」とか、「ちょっと悲しい」とか、結構、感じたことをポーンと口に出すことに気づきました。

でもこれは、以前よりも少しずつ、そういう表現が増えてきたから、おや?と思うようになったのです。以前は彼女はよく、うまく言えないことを手紙で表して渡してきて、その内容はしばしば、どきっとするほど重い内容のこともありました。最近でも、たまーに手紙は書いてきますが。

つまりそういう感情表現が、以前は手紙というかたちにとどまっていたのが、だんだん「感じたときに外に出す」ことが増えてきたのかなあ、と思います。

 

それで、私はどうだったかなあと思い返してみると、私は小学校2~3年頃から家ではほぼしゃべらなくなり(親は反抗期と思っていた)、その時期はよく母親に、話すのは恥ずかしいし癪なので、何か思うことがあるときには手紙を書いて2階から階段へポトリと落としていました。

そしてその後も、私は娘のように「だんだん感情を外に表す」ようにはならず、感情の処理については基本的に「保留」にするようになったまま、今に至っているように思うのです。どうしても処理できなくてアウトプットする必要があるときには、後で文字にして書く、という形をとってきたのですね。

 

小学生のときの処世術は、誰とも特別な仲良しやグループにならない、永世中立国みたいな位置に落ち着く、というクール路線でした。それから大人になっても、性格なのか、感情は生まれるけれど瞬時に解析・認識できないためとりあえず保留にするというスタイルが定着してしまったのか、とにかく「感情を表に表す」ことは今でも少ないのかな、と思います。

でもそれは、「感情が薄い」というのとはちょっと違います。もやもやとして、輪郭のつかめない妙な感覚は、常にやってきます。ただそれを「こういう感情」とラべリングして、納得して先に進む、ということが苦手なのです。

 

また、娘の出産後に私を襲った「怒り」の感情の燃え盛りぶりは、本当に私のキャパを針が振り切れるほど超えるものでした。マグマのような地獄の業火が、何年も常に自分自身を焼き焦がしていました。これも、「感情」を処理できなかった自分の性質によるものだと思います。

 

よく、自己啓発系の言い方で「感情は味わいきってから手放す」というのがありますが、結局「今襲われている感情が何なのか」の正体をパッとつかむことができないので、「味わいきる」こともできないわけです。

対象化して、もう見切ったものとして前へ進めるようになれば、感情との付き合いがもっと上手になるのかなあ、と。

 

前よりも、感情そのものを表現するようになってきた娘を見ていて、「すごいなあ、私と違うなあ」と感じます。おそらく、この「感情の処理」という部分に関しては、私よりも娘の方が上手にやれるようになるのではないかな、そうだといいなあ、と思っています。

 

【発達障害者はいじめに気づきにくいか】

最近、娘の相談で大学の発達臨床センターに通いはじめ、先日も長時間にわたり成育歴に関する聴取があったので、頭のなかでその関連のことが活性化していて、自分自身のいろんな記憶も表層意識の方にぷかぷかと浮かんできていたのかもしれません。

 

夜にぼんやりしていたら、ふと、空から降ってきたみたいに、ある考えがピコーン、と頭の中にやってきました。

 

あれって、もしかして…。

 

それは、事実だとすると二重の意味でけっこうショッキングな気づきでした。

 

私は中高一貫の女子校に通っていたのですが、ここでの学校生活は、まあ六年もいればなんやかやはあるものの、概ね平和で、取り立てて大きな事件もなく、どちらかと言えばぼんやり過ごしていました。

ただひとつ、とても嫌なことがあって、はっきり時期は思い出せないけれどおそらく中学の終わりくらいから、卒業まで続いていた気がします。

 

私は、ノートを綺麗に書く、ということにかなりの執着がありました。

片づけも掃除も大の苦手だけど、ノートに関してはわかりやすく、見た目も綺麗に書かないと気が済まないのです。

 

体力がないこともあり、家に帰ってノートをまとめる余裕はなかったので、学校でノートを取るときは一発勝負。ということで、ノートを綺麗に取りたい科目(特にこだわったのは生物。あと社会科全般。数学系はそもそも理解不能だし投げていた)については、先生の話の中から要不要を選り分け、あっちこっちに飛ぶ話題を必要に応じて線上に直し、大見出し・中見出し・小見出しがわかるように記号をそろえ…という具合に、授業が終わると脳みそも肩も腕もガッチガチに固まるくらい、集中して書いていました。

 

なかでも生物は、内容にも魅了されていたのでワクワクしながら授業を受けていた上、とにかく板書は絵や図が多かったので、こちらは色鉛筆をしっかり削ってスタンバイし、絵と色付けも同時にやりながらノートを取っていました。

今考えるとよくやっていたなあ…。

 

さて本題ですが。

 

こうして気合を入れて書いていたノートが、試験前になると、なくなるのです。

 

通学には電車を乗り換えて、自宅の最寄り駅まではバスも使って、1時間半近くかかる、ということもあり、また重い鞄が何よりも苦痛なので、教科書やノートは必要がないものは学校の机にそのまま置いて行っていました。

毎回ではないものの、試験前にノートがなくなって困ったことは何度となくあったのに、ノートを持って帰ろうと思わなかったのは何故なのかは、よく覚えていません。

 

当時から、「盗られたんだ」ということは、わかっていました。

が、誰にそんなことをされていたのかは、卒業まで見当もつかずじまいでした。そして、ノートを試験前に盗るのは、私のノートが綺麗にまとまっていることを知っていて、それを試験勉強に使いたいから盗っているのだ。

と、思っていました。ずっと。

 

ところがこの間ぼんやりしていたときに、本当に突然、「あれは、ノートが欲しかったのではなく、嫌がらせ(いじめ)だったのではないか」という考えが、浮かんできたのでした。

 

もしかしたら、勉強熱心な人が多い学校だったし、本当にノート目当てだったのかもしれません。でも、私を困らせるためにやっていた可能性も、小さくはない。

そのことに、高校を卒業して20年以上もたった今、思い当たったのです…。

 

うーん。私はいじめを受けていたのかもしれない。そして、そのことに気づいていなかったのかもしれない。

 

それらしきことは、実は大学生の時にもありました。入学してすぐ、勧誘されるままに全然合わないテニスサークルに入ってしまったのですが、同じ学年にちょっとかわいい、いつも輪の中心にいるような明るい子がいました。「一女(一年生女子)」は全部で10名近くいたのですが、集まるとそれなりに楽しくやっていたし、その中心にいた子も、ときどき私をからかうようなことは言うけれど、別に嫌いでもなかったし、うまくいっていないとも思っていませんでした。

 

ところが、あるときその子といつも行動とともにしていた3人組の中の一人の子が、「〇〇、あの子にちょっといじめられてるよね…。」と言ってきたのです。

 

びっくりしました。私自身は、そういう認識ではなかったので。

私の特性なのか、いい人ぶるわけではありませんが「人をいじめたい、意地悪をしたい」という心理があまり理解できないので、そこが直結しないというか、想像しづらかったのですね。

 

これは娘にも、同じ傾向があるように見えます。

 

ただ、ここでひとつ書いておきたいことは、私がその子との関わりにおいて、「何も感じていなかったかというと、そうではない」ということです。やっぱり、彼女の私に対する物言いや態度から、うっすらとではありますが、痛いな、辛いな、という感覚は受けていたと思います。

 

私はそもそも、「本人が困っているのなら」ということで口頭の診断は受けたけれど、どちらかといえばグレーゾーンですし、発達障害者としての見解ということではないのですが。タイトルにも書いた「発達障害者はいじめに気づきにくいか」に関しては、これだけサクっと聞かれたら、「確かにそういうタイプの当事者は割といるのではないか」という印象です。

 

でも、よく言われる「発達障害者は人の気持ちがわからない」という表現にはずっと違和感があり、今回のテーマについても、「人の気持ちがわからないから、いじめられていたとしても気づかない」というと、ちょっと違うなと感じています。

人と感情表現や感情の受け止め方が少し違うシステムになっている発達障害者は、「何も感じていない」のではなく、無意識にでも自分が何かしらのダメージを受けている、痛い、ということは、感じているのです。

ただ、それがどういう感覚で、さらに一般的にはどう定義されるようなものなのかを、経験に引きつけてハッキリと認識するという部分に難があるのではないか、と思います。

 

このあたりのところは、もうちょっと続けて考察していけたらな、と思っています。

 

【娘の読書の記録 〜備忘録として】

昨年の夏に娘の発達障害の可能性を疑い始め、市の教育相談室でWISC-Ⅳという検査を受けました。

 

その結果、4つある指標の点数がそれぞれ言語理解>知覚処理>ワーキングメモリ>処理速度、となり、言語理解と処理速度の間には25点の開きがありました。

 

また各指標間のみでなく、同一指標内の下位検査間に大変大きな差があるため、異なる能力間にかなり大きなばらつきがあることがわかりました。医療機関での診断は受けていませんが、発達の凸凹はかなりはっきりと出た結果となりました。

 

娘は、話し始めたのは特別早いわけではなかったのですが、2歳半ば頃から言葉が非常に立つようになり、また多弁傾向も目立っていました。

乳児期からとにかく恐ろしく寝なくて、私は何年も育児ノイローゼになっていたのですが、赤ちゃん期を過ぎても寝かしつけのときには本を読んで読んでと延々せがまれ、寝る前に毎日十冊くらい読まされていました。

 

ちなみにこの時期に義母から送られてきた『おやすみなさいフランシス』という本があるのですが、これが「アナグマの子どもが両親になんじゃかんじゃイチャモンをつけてはとにかく寝ない」という本で、当時娘の育児で極限まで追い詰められていた私は、あるときこれを読んでいて涙が止まらなくなってしまいました。今でもこの本だけは開くのも本当に嫌で、娘に本を読んでと言われても、「お母さん、これだけは嫌だ」といってそれ以来読んでいません(笑)

 

横道にそれました。

 

というわけで娘は、言語性優位の脳のようです。

 

本や漫画が好きな娘は、放っておくとずっと没頭して読み続けます。昔は親が与える絵本を順に読んでいましたが、だんだん彼女なりの好みが出てきました。

 

どんな本や漫画を好んでいたかの変遷を後で思い出せるように、書いておこうと思ったのが今回の記事の主旨です。

以下、思い出せる順に。

 

   『ブラックジャック』は、近所のよく行くカフェにたまたま置いてあったのを読んで、気に入ってしまいました。たぶん、前に親と一緒になって見ていたドラマ「JIN-仁」で種がまかれていたのかも。

初めて読んだときは1年生にはなっていたと思うのですが、いつ頃だったかちゃんと思い出せません。適当に歯抜けで置いてあったので読んだのは飛び飛びです。ここから、次々に手塚治虫作品を読んでいきます。

 

こちらは友人が持っていたので貸してもらえました! ちょっと字が小さくて読みづらそうでしたが、「死」や「輪廻転生」の概念が、かなり衝撃的だったようです。

 

新装版 ブッダ 全14巻

新装版 ブッダ 全14巻

 

手塚治虫が好きだったので、7歳のクリスマスプレゼントに全巻セットを書いました。これはふりがなもついているので、子どもでも読めます。『火の鳥』と似たテーマが繰り返されていますが、「人はどこから来てどこへ行くのか…」みたいなことを、これを読んでけっこう考えていたようです。14巻まで読むと1巻に戻り、たぶん4〜5周読んでいたと思います。

 

ゲド戦記 全6冊セット (ソフトカバー版)

ゲド戦記 全6冊セット (ソフトカバー版)

 

学校の図書館で借りてきて読んでいました。きっかけは何だったのか忘れた…。私が読んで面白いと言ったんだったかな。映画の出来は非常に残念な感じでしたね。 

 

何気なく夫が最初の1巻を買い与えたのですが 、読み出したらすぐハマって、読んではDVDを借りてきて観ていました。私はじつはハリポタの映画が苦手なのですが、娘はこういう、ファンタジー系・魔法系が好きなようです。

実はシリーズで全20冊もあったのには私も驚きました。

 

ドラゴンの眼〈上〉

ドラゴンの眼〈上〉

 

 この間、ハリーポッターのシリーズを全部読み終えてしまい、読むものがない!ということだったので、図書館で見繕って借りてきました。スティーブン・キングが娘のために書いた唯一のファンタジー作品だそうです。愛と勇気と冒険と!みたいなベタな感じではなく、笑いあり怖さありで、面白かったみたいです。

  

 こうしてみるとなんだか難しげなものを読んでいますが、もちろんアンパンマンドラえもんも、弟が幼稚園からもらってくる絵本もみんな好きです。それから親の本棚にある漫画は勝手にどんどん読んでいます。本来あまりジャンルに関係なく、読めるものがあれば読みたい、という感じなので、どこまでわかって読んでいるのかは、今のところよくわかりません。

 

自閉傾向と関係が深いと言われる、「過読症(ハイパーレクシア)」というやつなのかなあ、とも考えたのですが、 過読症であれば一般的に単語読解能力は優れているものの文章読解能力はむしろ低かったりするようなので、厳密には違う気もします。

 

おそらくADHDである娘は何かに集中していると落ち着く、というか楽なようなので、その過集中する対象として、本や漫画が最も彼女の突出した部分(言語理解)を使って楽しめて集中できるものなのでは、と思います。

 

いずれにせよ、好きで集中できるものがあるのなら、それを追求させてやったほうがいいのかな、と思っています。