なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【死ぬことについて考える】

この前、スティーブ・ジョブズの伝記映画を観ていて、「あれ、この人って死んだんだっけ?」と分からなくなった。

 

これ、私よくあるのだ。テレビに高齢の俳優が出ていたりすると、その人がまだ存命なのか亡くなったのかわからなくなるし、芸能人ならまだ「訃報を知らなかったのかも」と思えるけど、なんと親戚とかでも、同じことが起こる。

 

ひどいのは、ひいおばあちゃんが亡くなった後何年も、「あれ、亡くなったんだよね?」と時々わからなくなってしまったのだった。

(亡くなったとき私はアメリカに住んでいたし、そもそもひいおばあちゃんは遠くに住んでいて、小さい頃一度しか会ったことはないんだけど)

 

人の死を、くっきりと受け取れない。ような気がする。

生死の境界線のイメージも希薄なんだろうか。

 

昔から、「死への恐怖」が今ひとつわからない。だけど、そこへ至るまでの痛みとか、病気の苦しみとかに対しては、たぶん人一倍恐怖心が強い。実際、全ての感覚が過敏なので、他の人には対したことない痛みでも、私には堪え難いほど痛い、ということがよくある。ただその向こうにある、「死んでいなくなる」ことに関しては、あまり怖いイメージがないのである。あ、死んだら親が悲しむからそれは辛いな、というのは、ある。

 

二十歳くらいの頃、丸1年以上ひどい鬱になり、勤めから帰ったらまっすぐ部屋にこもって、窓の外の空を見ながら毎日ひたすら何時間も泣いていたことがあった。

そのとき、星空とか宇宙のことを想うのは救いだった。

人の世はごちゃごちゃして、混乱する。宇宙はひたすらひんやりと無機的で静かで、星が生まれても爆発して消えてもそれは一瞬の瞬きで、物理法則にのっとって原子や分子が運動している。その集合体が、永遠とも言える時間の流れの中で、ただそこにあるだけ。

 

人が亡くなったとき、私は何とも言えない気持ちになるけれど、一般的(というのがあるなら)な人の反応とは、ちょっと違うような気がする。

例えば、誰かが亡くなってそのお葬式に来ている人のインタビューをテレビで見ると、みんな揃って苦渋の表情で、涙を流し、必ずと言っていいほど「早すぎる」「惜しい」と言う。私は・・・正直、それがわからない。泣かないと冷たいとか言われるのも、違和感がある。派手に泣いている人の方が心が温かい、とかやっぱり思えない。

人は長生きするのが幸せとは思えないし、誰にでも死はやってくる。やってきたのが、そのときなのであって、そういうことになっていた、と、思ってしまうんだけど。

 

もちろん、「もっと生きていたらやりたいことがあっただろうに」とか、「まだこれからいろんな経験ができたはずなのに」とか考えたら、それは悔しいし悲しいけれども、それって「だいたい80歳くらいまで生きたら、人として一通りのやるべきことは終わるだろう」と根拠なく考えられているからで、小さい人でも濃く充実した幸せな生を全うすることもあるだろうし、100歳を超えても情熱に溢れていてやり残したことだらけ、という人もいるだろう。

 

私は、死んだ後にそっくりそのまま一人の別人として生まれ変わる、とは思っていない。でも、全くの無になるとも感じない。私という意識を包んでいるこの膜が消えて、「たましい」みたいなものも霧散して、そしたらそのあとには私を作っていた細胞やら骨やらが分解されて単純に炭素とか水素とかの元素にまでばらばらになって、この宇宙に還っていく。それって、やっぱり、恐怖というよりは安らぎのイメージなんだよなあ。

 

私は小さい頃動物や生き物が好きで、常に何かしら家には生き物がいた。虫とか、取ってきたヤドカリみたいな小さいものから、りす、ハムスター(何世代も増えまくった)、そして最後は20年近く長生きした柴犬の親子まで。もちろん生き物はどんどん死ぬので、うちの周りの土の部分は、そこらじゅう何かのお墓で埋め尽くされていた。そこに雑草でも花でも植木でも生えていると、「あー、この中に入っていったのかなー」とか、よく思ったものである。

 

死ぬ間際に苦しむことだけが、怖くて悲しい。それから自分が愛着(執着なのかも)があるものが自分の世界からいなくなることも、悲しい。でも、「死ぬ」=「悲しい」「不憫」というのとは、ちょっと違うのだと思う。

 

ただここまで書いてきたことと矛盾するようだけど、子どもが生まれて、死生観みたいなものは大きく変わった。

やっぱり子どもが死ぬことを想像したら気が狂いそうになるし、自分自身が無くなることは恐怖ではないけれど、もう子どもの成長していく姿を見られないことと、彼らが必要としてくれているかもしれないときに去らなきゃいけないのは、とても辛いと思う。

 

これは死生観というより、単に「自分の本当に身近な人間とか、経験したことにしか感情が動かない」ということなのかもしれないなあ、と思ったり。

 

そういう意味では、「人とちょっと違う」のではなくて、スタートレックのスポックみたいに、経験の中で少しずつ人並みの感情を育てていっている途上なのだろうか・・・。

アラフォーなのに!