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なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【あきれるほど、ほめられない】

前回、ペアレントトレーニングに行き始めた、ということを書いた。

【ペアレントトレーニングに行きはじめました】 - なんだなんだ、そうだったのか

 

アレントトレーニングとは簡単に言うと、子どもの「行動」に焦点を当てることで、子どもの好ましい行動を増やし、好ましくない行動を減らしていくためのプログラム。

子どもを変えようとするのではなく、親が子どもの持つ困難さ、特徴を理解し、よりよい対応を身につけることで親子関係の悪循環を断ち、よりおだやかな生活が送れることを目指すもの。つまり親側のスキルアップが目的である。

 

どうしたら娘をこれ以上追い詰めなくて済むか、怒りに飲まれて我を忘れて半狂乱になって、娘を泣き寝入りさせてから寝顔に謝る日々を、終わらせられるのか・・・と、一人で悩んで、あっちこっちいろんなことに手を伸ばしてきた。

そこからはちょこちょことヒントを得たし、実際に、今でもこれは役に立つな、と思うツールは、思い出して使うこともある。

でもそれはみんな、発達障害ということに思い至る前に、大枠で「育てにくい子の育児に悩んでいて、感情を抑えられず苦しんでいる母親」として仕入れた情報。

 

で、発達障害のことが浮上して、「だから私たち親子はここまでしんどかったんだ!」と分かった後に見つけたこのペアレントトレーニングは、はじめて発達障害を持つ子の特徴を前提として、それにあわせた対処法が書かれたものだった。しかも、ただ「こうした方が良いですよ」ということが羅列されているのではなく、いかにもアメリカで生まれたものらしく、項目ごとにポイントが整理され、その項目をひとつひとつ実践してステップアップして行くという、非常にシステマチックに進めていけそうなプログラムだった。

 

これは、やるしかない。というか、結果はどうあれとりあえずやってみるべきだ、と思った。どんなに素晴らしい本を読んで、「そのとおり!」と膝を叩いて感動したとしても、考え方や気持ちの持ち方は、自分では結局変えられないということを、この何年かで嫌という程思い知った。だから、頭でっかちの私に必要なのはともかく、何であれ実際にアクションを起こすことだと思った。

 

ペアトレは全8回で、前回は「肯定的な注目を与えること、ほめること」をやった。

子どもができている行動を具体的に指摘し、その行動に気がついていることをまず伝える。そうした肯定的な注目を与えられると、子どもは親に認められていることを意識し、いっそう頻繁にその行動をするようになり、 悪循環から好循環への変化が起こる、

ということ。

なんだけど・・・

 

あああああ、ほめられない!!!

 

本で読んでも、講習で臨床心理士の講師から直接レクチャーを受けても、内容には全く納得しかない。そりゃあそうだろう、たぶんいい変化が起きるだろう、やろうやろう、やるしかない。と、思ったのに。

 

「朝から晩まで困らせられる。なんとか私の受ける精神的ダメージを最小限にして、出来るだけ滞りなく、衝突することなく1日を終えたい」というのが、これまで私の毎日の目標だった。

下の3歳の弟との関係では、私はたぶん「ふつうのお母さん」くらいしか怒ってない。それに、瞬間的に激怒りしてしまっても、少しすればその嵐はおさまって、忘れてしまう。つまり、わだかまりが残らずゼロリセットされる。

 

ところが娘と私との関係は、今まで書いてきた通りの厳しすぎるもので、それが生まれてこの方ずっと続いているので、ありていに言えば、こじれにこじれている。

毎朝、起きるのが苦手な娘はひどく耳に刺さる声で30分以上泣き続け、荒れる。1日のスタートがそこからである。私は今日一日にどのくらいまた娘のことで疲弊するのかな・・・、と、すでに削られ始めている自分自身をぼんやり眺めながら、なるべく心を閉じて、朝の支度の作業に集中する。

 

なんか、そう、ずっとずっと、心が荒れてすり減っているんだよね。この7年間。

うまくいかなくて、常にぶつかるか緊張状態で、でも本当は愛しくて、少し遠くから眺めている時や寝ているときは、かわいいなあ、いつもごめんね、もっと仲良くやりたいね、と痛いほど思うのに。

そうして仲良くなりたいと思って前向きに働きかけたり、歩み寄ったりしても、それは彼女の特性上(というか私たちの特性の組み合わせ上)仕方ないのだけど、その試みはいつもいつも徒労に終わって、疲れきって傷ついた痛みだけが残る。

 

だから、朝起きてきたらゼロからスタート、新しい二人のやりとりが始まる、という弟と違って、娘との関係のベースにはすでに恨みや諦めや警戒心がいっぱい発酵して溜まっていて、朝起きて彼女と対峙した瞬間から、その積年の負の産物がそこにあるのを、常に感じている。

 

その娘を、ほめる、ということ。

チャレンジだとは思っていたけど、予想以上にハードルが高い。

 

「あっ、ほめるなら今だな。良い行動を始めているな。完遂を待たず、行動を始めた時点ですかさずほめるんだから・・・まさに今ほめないと・・・

むーーーん・・・・・・。」 

 

 どうしても、声が出て来ない。

ものすごいブロック。

ここまで抵抗が強いとは、我ながらあきれてしまう。

 

なんでここまで、ほめられないの?と自問してみた。

数日間、何となくそれをずっとどこかで考えていたら、

食器を洗っているとき、洗濯物をたたんでいるとき、「あ、そうか」と答えの断片がひら、ひら、と降ってきた。

 

一つは、「なんで私だけがほめなきゃいけないの」という、自分の奥底から出てきた声。「手を洗うとか、返事をするとかさあ、当たり前じゃん。当たり前のことが片っ端から基本できなくて、できたときはほめるって、納得いかない〜。そんなこと言ったら私だって今、娘の出した水筒洗って、宿題にマルつけして、ご飯の支度して、当たり前のこと一生懸命やってるよ、当たり前だけど淡々とがんばってるよ!」

そうだ、私、娘と張り合っているんだ、と気付いた。母親として、保護者としてじゃなく、同じ目線まで下がってしまって、「私だってがんばってるもん!すごい辛いのに毎日がんばってるもん、特にこの人のために!なのに、なんで私はほめられないの?ほめる側なの?」って、ふてくされていた。

だから、自分で自分をほめてみた。ちゃんとお皿洗っていてえらいね、娘のことも、がんばって取り組んでいるね、と。私は自己肯定感が低いので、自分を認めるとか自分をほめるのが、何より苦手なんだな。それなのに、人をほめられないのは当たり前だ。

アレントトレーニングは、自分を認めてあげる練習にもなるかもしれない。

 

それから、前までの習慣でつい、「どうして私ってこうなんだろう」と、その思考癖や性格に問題を探そうとしていたけど、根本的なことに気づいた。

だって、私もアスペだよ?

それは、心にないことは言えないよ!

うわあ、もうなんか、シンプルすぎる事実。

ペアトレの講師の先生には、「そこはもう、ほら、女優モードで!」と言われて、なるほどそうだよな、と思っていたし、私も自分の心情は切り離してテクニックを学ぶのだ、と決意していたのだけれど、やはり大前提として、私に「思ってはいないけれど便宜上、思いと違うことを言う」という機能は、備わっていないのだった。

 

うん・・・。ゆっくり行こう。

ペアトレはたぶん、親も「育てにくい子」の同類である、という前提ではデザインされていないと思う。うちの場合はだから、ペアトレもすんなりうまく進むと思ってはだめだ。

テクニックを知ったらすぐに使える、という私ではないから。

私がこれまでの人生で「なるほど、そういうものなのか」を時間をかけて、周りを観察して、実体験からデータを集めて、やっと何とか身につけてきたように、娘との関係でも、ぎこちなくやってみる、ということを繰り返して、なんとか積み重ねて行くしかない。

基本的な筋肉がないところに筋トレするようなものだから、非常に負荷がかかるけれど、それはもう、私の課題なのでやっぱりやるしかないのだ。

 

ただ、やる。できるときだけやる。できなかったときは、自分を責めない。

それで、しばらく行ってみようと思う。

 

 

アレントトレーニング講習を受けることは、この本との出会いで決めた。

読んで学べるADHDのペアレントトレーニング――むずかしい子にやさしい子育

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