なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【父との関係について考えたこと】

子ども二人を連れて実家に数日帰省している。

 

つい先月、自分と娘の発達障害のことについて両親には話をしたのだけど(【診断と、両親への報告】 - なんだなんだ、そうだったのか)、カミングアウト自体に特に大きな問題はなく。

「そうなんだ」という感じで両親とも受け止めていて、まあ若干「でも○○ちゃんはいい子だよ、問題なく見えるけど。子どもはみんなそうだよ」「それも個性ってことじゃないの」的なコメントもあり、少し引っかかりはあったものの、それはまあ最初の反応としては普通かな、と。

 

で、とりあえず私たち親子はそういうことですよー(っていうかつまりそれは私の親であるあなた方も多分に同類、ってことなんだが)、ということは共通理解となったということで、普通にとどこおりなくやっていけているので、そこはかなり恵まれたというか理想的な状況なんだろう。

 

なんだけど、発達障害持ちの親子関係はやはりそれなりの複雑さを含んでいるものであると思う。それは別に発達障害に限ったことではなく、まあ親子関係というものはどんな人でも十人十色の難しさがあるわけだけど。

 

私はアスペルガー特性からか、家族関係において、感情的ないろいろな印象、特に違和感とか抵抗感とか、をあまり突き詰めずに育ってきたように思う。情緒面の発達が人より遅れてやってきたというのもあるのだろう。「あれ?なんか仲良しで理想の家族、と思っていたけど実はそれなりにいろいろあるなあ??」って疑問を持って掘り出したのが何せ30代になってから。で、自分の育ち方や家庭環境における葛藤や未消化の部分がかなり明確に見えて来るようになったのはそれこそ娘を産んで、必死の修羅場を生き延びて、ちょっといろいろ考える余裕が出てきたここ数年のことである。

 

今日、子どもらを連れて実家入りしたんだけど、父のうちの娘に対する態度を見ていて、「あれ?」と思った。

私と父は仲が悪いわけではないが、価値観とか好みとかテンポとか、つまり波長が交わらない。だから昔から「何となくイラッとする」みたいなことはしばしばあるんだけど、今日はことさらそれをはっきり感じた。

娘はこだわりが強く切り替えがきかないので、言われたことをすぐできないしやめろと言われたことをやめられない。あと、何事においてもものすごく迷って決められない。それを、父が注意するのだけど、

「早く早く」

「○○をやめなさい」

「○○しなさい」

「決めた?はい、もう決まった決まった。こっちにしたら」

と、とにかくせかすのと、物言いが一方的で、父が思う「今すぐこれをするべきだ」という行動に誘導することがすべてで、待ったがきかない。

決してきつい口調ではないんだけど、だからこそ余計に反射的で機械的で、一度も自分自身の心というかハラというか、を通過させることなく「親からもそう教わったし、この場で正しい行動はこうだから」という彼の正しさを押し付けていることがわかる。

 

父は風貌もたたずまいも穏やかで、決して声を荒げたり感情的に高ぶったりはしないし、子どもに手をあげたこともない。だからずっと「私は親に怒られたことがないし、意思を尊重されて自由にさせてもらった」と思ってきた。私は先読みして親の求める”よい行動”ができてしまう子だったので、父の私と娘に向ける態度は違うんだけれど、今日の娘へのコントロールっぷりと一方的さを見ていて、この人の子どもとか妻とか孫とか、つまり「自分がケアして庇護する対象」と考えている人間に対する扱いはこうなのだ、とくっきり実感してしまった。

 

私は異常に自己肯定感が低く、親からよく怒られたわけでもないしむしろ褒められて育ってきたのに何でだろう? とずっと疑問だった。今でもその疑問が解けたわけではないけれど、なんか今日見えてきたことが鍵になっている気がする。


多分、自分が本当に褒めてほしいことを褒めてもらったんではないんだろうな。感情の発達が遅く、「自分の気持ち」が最初にあるのだ、それを感じた結果に行動があるのだ、という、定型発達であれば当たり前の行動原理がおそらく幼少時の私には無いかもしくは薄くて、親が用意した「こうあるべき」の規範を、ロボットがプログラムをインストールするみたいに吸収してきたんじゃないかなぁ、というような想像をしてみているんだけど、どうだろう。

そして、穏やかでマメで家族サービスも厚く外でも評判のいい、出来杉くん的な父の教育は、見え方としては理想的で打ち出し方もソフトであるがゆえに、その縛りはかえってかなり厄介なのだと思う。


うーん。

明日は子どもたちも連れて日帰り温泉だし、せっかくの楽しいはずのイベントなので、分析グセはここまでにしておこう。

ただ何となく、やるせないなあ。

タイムマシンで小さい頃の私のところへ行って、頭を撫でてやりたいわ。


あとは、おそらく同じことを私が娘にやっているのだろうから、この連鎖をできるだけ意識することだ。意識化できれば、同化はしない。そうしたら、タイムマシンで慰めに行くことはできなくても、ちょっとは小さい私の供養にもなるだろう。