【発達障害を理解してほしい、と思うこと】
自分の発達障害がわかって、本を読んだり当事者または家族のブログやツイートを読んだりして、だんだん発達障害についての知識は増えてきている。
同時に、そういう情報をきっかけに自分のこれまでのエピソードや疑問だったこと、ひっかかってきたことに、日々気付いたり思い出したりして、自分自身への理解も深まってきている。
そうして、そういう自分を掘る作業を、自分だけでやっていても確信がないので、私はいちいち夫に「そういえば、昔こういうことがあったんだけどこれってさあ」とか、「私、こういうときってこうなるよね」とか話をしてきた。自分で言語化することと、相手のフィードバックが、私のこれまでの人生の全体像?ストーリー?を整理するのを、とても助けていると思う。
夫について少し話そうと思う。
夫は、たいへんに自我が強くてこだわりが強くて、まず自分の正しいと思うことは曲げない。そして子どもの頃の話を聞くと、かなり多動があったっぽい。
で、最初私は自分のことを省みる前に、「娘のアスペルガーとADHDはこの人由来ではなかろうか」と思っていた。今でも、その傾向はあるのかな、と思う(祖母や父親がたいへんに疑わしい)。
ただ、夫が私と絶対的に違う一点があって、それは「そういう自分が好きで、困ったり悩んだりは一切していない」ということである。自分の中に絶対的な「正しい」とか「好き」とかの基準があって、それはもうびっくりするくらいぶれない。そして、それに従って行動した結果こうむる逆風や不利益とは、戦うだけ、という姿勢である。彼の中に「めんどくさい」という文字(私の脳内の80%は「めんどくさい」でできている)はない。
つまり彼は、発達障害かどうかはわからないが、普通に人としてかなり偏屈でしんどい人である。ただ、社会的スキルはとても高い。
たとえば学校とか会社とかの組織内で「違う」と思ったことにはどうあっても屈しないけれど、自分の周りのせまい範囲の人間に対しては非常に親切だし、基本的に私欲がない。むしろ自分が損をしてもいろいろやってあげるところがあるので、周りの人からはひいき目に見てもかなり信頼されていると思う。それから、人と人との調整能力がやたら高い。人心を読むというか、心理戦や政治に長けている。ので、そういう機微やかけひきが一切分からない私は、職場やら幼稚園役員会やらでいろんなごたごたがあったときの立ち回りは、夫に相談して大体決めている。家庭内参謀である。
ものの見方は、基本的にひねくれている。間違ってもメディアの文言をそのまま信じたりはしないし、常にその裏や背景や実態を見ているらしい。
リアリストで、人や世界にあまり期待しない。
夫が発達障害の特性を持っているかどうかは、今のところ突っ込んでもあまり意味がないかな、と思っている。(そういう特性は一部あるように思うけれど)
私や娘の発達障害のことについて話すとき、夫はそういうわけで「定型者サイド」の人間としてものを言う。私は定型者と当事者はそもそも同じスペクトラム上にいて、分けられるものではないという考えだけれど、それでも今の私は「発達障害者としての私」についてもう少し掘って整理していく必要があるし、現段階ではいったん自分の立ち位置を「発達障害者」として、それ以外の世界との対比の中で座標を探っているような感じである。いつかこのスタンスも変わると思うけれど、今はこういう局面かな、と思っている。
今、夫はたぶん私の唯一の理解者である。理解、とまでは難しいかな、でも少なくとも分かろうとしてくれてはいる。そして定型者の代弁者である(と、規定する)。
そういう夫と日々話していて、私はひとつひとつ、「なるほどな、私の行動はこう映っていたのか」とか、「こういうところは理解されにくかったのか」とか確認して行っている。
そんな中で、この頃よく考えることがある。
・発達障害者は「少数者」であって、劣っているのでも治すべきなのでもない。
・そのことが理解してもらえれば、特性上の能力を活かすこともできる。
・教育の場でも、子どもはひとりひとり違うのだから、特性に合った対応がされるよう、もっともっと教育のシステムも整備されるべきだし、発達障害についての社会的理解がもっと深まるべき。
と、いうような、私たち側からすれば切実な訴えや願い。
それ自体は、たぶん「正しい」し、「よりよい社会を目指している」意見だと思う。
だけど、じゃあ、現実問題としてどうか。
となったときに、定型者でリアリストの夫から、しかも身内なのでオブラートに包まずストレートに出てくる言葉に、うなることが多い。
意地悪をしているのでもなく、差別しているのでもなく、現実の中でより「勝ちに行く」というか、「実を取る」ために、要は自分がより幸せで生きやすくなるための身の処し方、というものを第一に考えている人から、率直に放たれる言葉。
夫は、娘のことを担任に話すことも今の段階では賛成していない。忘れ物や時間管理など、若干難しいことがでてきているけれど、ぎりぎりやれている今の状態では、慎重になるべきだと言う。学校の先生に、過度な期待をするべきではない、それよりは特別視させてしまう可能性とそれが今後生むかもしれないデメリットを考えたほうがいい、と。
それから、夫は基本「世界は自分の思い通りにならない。何かが欲しければ自分の力で勝ち取るしかない。その競争に負けた人間や、悲しいかな持って生まれたものに恵まれない人は、残念ながら諦めるしかない」という強者の論理の人なので、一般的にマイノリティに属する人やグループへの共感が薄い。
対して私はこれまで、発達障害云々にもマイノリティにも自分自身は縁がないと思っていながら、なぜか少数民族や非差別人種やセクシャルマイノリティや、といったグループに説明のつかない共感を覚えてきたし、そういう少数派の人たちが理不尽な扱いを受ける世界であるべきではない、とずっと思ってきた。
そのスタンスはどちらかといえばかなり青臭く、大学時代には先住民族の権利回復運動に関わったりもした。
夫に言わせると「超左寄り」となる。
そういう水に集まる人?のありがちなパターンの一例で、一時期は自然食やマクロビオティックにはまったり、スピ方面に関心が偏っていたり、した。そういう、一連の親和性のあるカテゴリーのすべてを、基本的に夫は嫌がった。
すこし話がずれたようだけど、何が言いたいかというと、
「自分をマイノリティと呼ぶ人々は、いつも体制やマジョリティを逆差別して、自分たちは正しいと声高に叫び、自分たちを理解しろと強要する。社会が自分たちに合わせて変わるべきだと主張するし、その主張は往々にして理想主義でお花畑で、糾弾したり『啓蒙』はするけれど、何かを実現させるための具体的なプランも作らないし努力もしない」
というのが、夫の意見である。
そして、脳内お花畑で理想主義者で世界や人に期待し過ぎな私は、これに当初はものすごい反発を覚えたし傷ついたけれど、今では真実だな、と思う。
マイノリティ側は往々にして具体的な努力をしない、というのは言い過ぎで、違うと思うが、やっぱりそう取られるには理由があって、「我々を理解しろ」という主張は、かなりうまく、工夫して発信しないと、多数派からは受け止めにくいメッセージであろうと思う。
それから、「べき論」ではなく事実として、多数と少数では多数の幸せ(利益)が優先されるのが、現状では世の理ということ。
小学校で初めて「多数決」の概念を知ったとき、どこかで何となく腑に落ちないモヤモヤ感を抱いたけれど、結局はより多くの人が相対的に良いと思う、ということでしか、皆が納得できる着地点を見つけられない。
その延長線上で、発達障害者が「自分たちの特性を理解してほしい、理解がされたならこの特性に合った対応や扱いをしてほしい」というのは、あくまで相手に自発的な「理解したい」「対応スキルを学んででもこの人と分かり合いたい」という自由意志があって初めて、成立することなのではないか(発達障害者に限らずどんなマイノリティグループでもそうだけれど、ここでは発達障害に限って話をする)。
たとえ婚姻関係を結んでいる相手であっても、「私にもっと興味を持ってよ、理解してよ」とお願いすることはできても強要はできないし、それを社会に求めるのはもっと難しい。
こういうことを書くのは、もちろん私が人一倍「わかってちゃん」だからであり、周囲の人や社会に対して求める期待度が高すぎるくらい高いからである。
だからこそ、その難しさを重く受け止めてしまうのだと思う。
最近、発達障害関係の本を読んだり番組を観ては、私という人間の取扱説明書として夫に勧める、ということをしていたのだけど、私の「マイブームに一時的にのめり込む」というのが出て(今、発達障害が私のマイブームなんである)、若干集中砲火ぎみになっていたと思う。
それに我ながら気付いたので、ちょっと申し訳ないという思いからこんなことを書きたくなったのかもしれない。
【診断と、両親への報告】
このブログを始めたとき、私自身は未診断だった。
昨年11月に「娘だけじゃなく、自分のことも調べたい」と思ったけれど、病院の予約が一杯で3ヶ月待ったのだ。
で、先日、診断を受けた。
大体思っていた通りで、アスペルガー+ADD。娘は連れて行っていないけれど、娘との関係の厳しさ、ということでもかなり話をして、それを聞いての医師の所見は、娘もかなりアスペルガー強め(私はADHDメインだと思っていた)ではないかということだった。
いろいろ始まってから、約半年。診断がつく、つかないということ自体はそんなに重要じゃないと思っているけれど、やっぱりなんか、「一段落」という感じではある。
ちなみにWAIS-3の結果は非常に意外な感じで、思ったほどいわゆる凸凹は激しくなかった。全然ダメと思っていた分野は、むしろ高得点だった。どうも私の場合、純粋に概念化されたことをテストという環境で集中してやれば、やたら能力を発揮する。けれどもそこに、日常生活上のいろんなことが付随してくると全てのことは途端にマルチタスクになるわけで、そうするとパフォーマンスが落ちて、それが自分自身の不全感とか困り感になっているらしい。
一番凹んでいたのは「ストーリーを何枚かのカードで表したものをシャッフルし、それを話の順序に沿って並べ変える」やつ。確かに私は夫の解説つきでないと、時系列が前後するような映画はわからないし、例えば普段、道で突然誰かに会ったりするとその人がどうしてその方向から来たのか、なぜ自転車に乗っているのか、というようなことの背後にある状況を瞬時に推測できずに、まるでとんちんかんな話しかけ方をしてしまったりする。
やっぱり、リアルな世界でいろんな情報をいっぺんに処理する、というのがとにかく苦手なんだろうな。
診断の根拠になったのは、そういうわけで「発達の凸凹」よりは、生育歴やこれまでのエピソード、困りごとの状況がメインだった。
特に顕著なのは、
「突然予定が変更されるとパニックになる」
「見えていない状況を想像しにくい」
「相手も自分と同じ感覚を共有していると思ってしまう(自他境界線が曖昧)」
「感覚過敏」あたり。
これまで、どうも人より生きづらい気がするな、とは思いつつも、社会のルールを「学習」することによって一応はそれなりにやってきたし、たぶん周囲からも「ちょっと変わった雰囲気はあるな」と思われているかもしれないくらいで、トラブルはあまりなかった。
たぶん、ボーダーなんだろうな。そして夫の分析によると、後学によって一応後付けスキルは搭載されているけど、メモリが小さいのでそれが何か(自分のメインの関心ごと、ふってきた予定外のできごとなど)に割かれてしまうとあっというまにメモリがパンパンになり、コンピューターで言えばシャットダウン状態になる。シャットダウンしないまでも瞬時に著しく性能が下がり、「社会的に適正な行動をとるモード」がオフになる。外向きには、かなりがんばってその集中力を保っているんだけど、対身内になると気が緩んで、本来の自分の素になりがち。そういうとき、アスペ特有の行動パターンが前面にでる。
ただ、「相手を怒らせてしまったようだけど何で怒ってるかわからない」というほど重度ではなく、「アスペ特性でまたやっちゃってるな」という自覚はある。ので、落ち込む。
落ち込むパターンの例としては:
・予定を遂行すること自体にとらわれて、遊びに行っているはずなのにスケジュールばかり気にして家族を追い立て、本来目的の「楽しむ」ということを忘れてしまう。夫がうんざりし、子どもたちが焦らされて疲れているのを見て、そして何より自分自身が設定したスケジュールに縛られてへとへとになる。
・買い物に行くときは、予定の目的地を点でつないで効率的にその間だけを移動し、ウィンドウショッピングもせず巻きで帰る。常にとても疲れているので、効率的に最小エネルギーで動くこと、が最優先になる。なので基本、買い物は楽しめない。
・余裕を持ったスケジュールで予定されていたことしかしたくないので、要するに「ノリが悪い」。「無駄と思えることや、突発的なことや道草が人生を豊かにするのだ」ということは、「わかる」し、「そうしたい」のに、「どうしてもできない」。
・人(特に夫と娘)が自分を当然理解して従うはずだ、と思い込んでしまい、相手を否定してしまう。
・・・他にも、いろいろあるなあ。
そういう、以前は無意識だったのでどうしてぶつかったり傷つけ合ったりするのかわからなかったことが、自分の特性と向き合うことで、かなり分かるようになってきた。その点においてはここ数ヶ月で、それはもうガラリと状況は変わった。
夫も、私の取扱説明書のバージョンアップ版を徐々に獲得していっているので、それ自体は希望といえば希望だし、私がパニックを起こしたときなんかも、随分と早くことが収束するようになった。
ただ、前は訳もわからずただ怒りやパニックに飲み込まれて「どうして夫は、娘は、こうなんだ!」と周りを責めていたのが(今までホントすまん)、
「ていうかむしろ、主に私だった!」ってことがわかってしまったので、そこはちょっと厳しかったりもする。
それでも、やっぱり私は個人的な性質からして分析魔だし、「自分のことがわかりたい」欲求が昔からものすごく強いし、いろんなことが整理されて腑に落ちることで安心するので、厳しい一面があっても、こうして掘り進めていくのが、向いているんだと思う。
(誰もがそうした方がいいとは全然思わない)
で、「自分のことがわかりたい!」というのと同じくらい私は「自分のことをわかってほしい!」欲求も強いので(ときどき我ながら辟易とするが、性質なので仕方ない)、昨日さっそく両親に、私のこと、娘のこと、全部話をしてきた。
長くなるのでここには書かないけれど、私は両親との関係は大枠ではかなり恵まれていると思う。ということで、カミングアウトもそれほどストレスなく済み、何よりすっきりした。それとこれまで、小さい頃からいろいろ実は辛かったこと、がんばっていたことも、分かってほしかったんだなあ、と思った。
発達障害なんて言葉自体、ほぼ聞いたことがない両親なので、一通り話はしたけれど、まず何が何だか、という状態だと思う。
それで、「面倒だと思うけどこれ1冊読んでくれると助かる」と言って渡してきたのがこの本。
ADHD・アスペルガー症候群 子育て実践対策集 (セレクトBOOKS―育ちあう子育ての本)
- 作者: 司馬理英子
- 出版社/メーカー: 主婦の友社
- 発売日: 2011/09/22
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログを見る
これ、すごく分かりやすいのだ!
ADHD、アスペルガーそれぞれ単体で扱った本はいっぱいあるんだけれど、私も娘もおそらく両方持っているので(そのへんの診断法については賛否両論いろいろごちゃごちゃありそうだけど、ここでは触れない。少なくとも私の実感としては私も、娘も合併である)、2つをセットにして比較しながら一緒に書かれているのは、親切だと思った。
イラストや図解でイメージもしやすく、入門編としてはとてもオススメ。
ということで今回は、診断前後の状況まとめ。
【あきれるほど、ほめられない】
前回、ペアレントトレーニングに行き始めた、ということを書いた。
→【ペアレントトレーニングに行きはじめました】 - なんだなんだ、そうだったのか
ペアレントトレーニングとは簡単に言うと、子どもの「行動」に焦点を当てることで、子どもの好ましい行動を増やし、好ましくない行動を減らしていくためのプログラム。
子どもを変えようとするのではなく、親が子どもの持つ困難さ、特徴を理解し、よりよい対応を身につけることで親子関係の悪循環を断ち、よりおだやかな生活が送れることを目指すもの。つまり親側のスキルアップが目的である。
どうしたら娘をこれ以上追い詰めなくて済むか、怒りに飲まれて我を忘れて半狂乱になって、娘を泣き寝入りさせてから寝顔に謝る日々を、終わらせられるのか・・・と、一人で悩んで、あっちこっちいろんなことに手を伸ばしてきた。
そこからはちょこちょことヒントを得たし、実際に、今でもこれは役に立つな、と思うツールは、思い出して使うこともある。
でもそれはみんな、発達障害ということに思い至る前に、大枠で「育てにくい子の育児に悩んでいて、感情を抑えられず苦しんでいる母親」として仕入れた情報。
で、発達障害のことが浮上して、「だから私たち親子はここまでしんどかったんだ!」と分かった後に見つけたこのペアレントトレーニングは、はじめて発達障害を持つ子の特徴を前提として、それにあわせた対処法が書かれたものだった。しかも、ただ「こうした方が良いですよ」ということが羅列されているのではなく、いかにもアメリカで生まれたものらしく、項目ごとにポイントが整理され、その項目をひとつひとつ実践してステップアップして行くという、非常にシステマチックに進めていけそうなプログラムだった。
これは、やるしかない。というか、結果はどうあれとりあえずやってみるべきだ、と思った。どんなに素晴らしい本を読んで、「そのとおり!」と膝を叩いて感動したとしても、考え方や気持ちの持ち方は、自分では結局変えられないということを、この何年かで嫌という程思い知った。だから、頭でっかちの私に必要なのはともかく、何であれ実際にアクションを起こすことだと思った。
ペアトレは全8回で、前回は「肯定的な注目を与えること、ほめること」をやった。
子どもができている行動を具体的に指摘し、その行動に気がついていることをまず伝える。そうした肯定的な注目を与えられると、子どもは親に認められていることを意識し、いっそう頻繁にその行動をするようになり、 悪循環から好循環への変化が起こる、
ということ。
なんだけど・・・
あああああ、ほめられない!!!
本で読んでも、講習で臨床心理士の講師から直接レクチャーを受けても、内容には全く納得しかない。そりゃあそうだろう、たぶんいい変化が起きるだろう、やろうやろう、やるしかない。と、思ったのに。
「朝から晩まで困らせられる。なんとか私の受ける精神的ダメージを最小限にして、出来るだけ滞りなく、衝突することなく1日を終えたい」というのが、これまで私の毎日の目標だった。
下の3歳の弟との関係では、私はたぶん「ふつうのお母さん」くらいしか怒ってない。それに、瞬間的に激怒りしてしまっても、少しすればその嵐はおさまって、忘れてしまう。つまり、わだかまりが残らずゼロリセットされる。
ところが娘と私との関係は、今まで書いてきた通りの厳しすぎるもので、それが生まれてこの方ずっと続いているので、ありていに言えば、こじれにこじれている。
毎朝、起きるのが苦手な娘はひどく耳に刺さる声で30分以上泣き続け、荒れる。1日のスタートがそこからである。私は今日一日にどのくらいまた娘のことで疲弊するのかな・・・、と、すでに削られ始めている自分自身をぼんやり眺めながら、なるべく心を閉じて、朝の支度の作業に集中する。
なんか、そう、ずっとずっと、心が荒れてすり減っているんだよね。この7年間。
うまくいかなくて、常にぶつかるか緊張状態で、でも本当は愛しくて、少し遠くから眺めている時や寝ているときは、かわいいなあ、いつもごめんね、もっと仲良くやりたいね、と痛いほど思うのに。
そうして仲良くなりたいと思って前向きに働きかけたり、歩み寄ったりしても、それは彼女の特性上(というか私たちの特性の組み合わせ上)仕方ないのだけど、その試みはいつもいつも徒労に終わって、疲れきって傷ついた痛みだけが残る。
だから、朝起きてきたらゼロからスタート、新しい二人のやりとりが始まる、という弟と違って、娘との関係のベースにはすでに恨みや諦めや警戒心がいっぱい発酵して溜まっていて、朝起きて彼女と対峙した瞬間から、その積年の負の産物がそこにあるのを、常に感じている。
その娘を、ほめる、ということ。
チャレンジだとは思っていたけど、予想以上にハードルが高い。
「あっ、ほめるなら今だな。良い行動を始めているな。完遂を待たず、行動を始めた時点ですかさずほめるんだから・・・まさに今ほめないと・・・
むーーーん・・・・・・。」
どうしても、声が出て来ない。
ものすごいブロック。
ここまで抵抗が強いとは、我ながらあきれてしまう。
なんでここまで、ほめられないの?と自問してみた。
数日間、何となくそれをずっとどこかで考えていたら、
食器を洗っているとき、洗濯物をたたんでいるとき、「あ、そうか」と答えの断片がひら、ひら、と降ってきた。
一つは、「なんで私だけがほめなきゃいけないの」という、自分の奥底から出てきた声。「手を洗うとか、返事をするとかさあ、当たり前じゃん。当たり前のことが片っ端から基本できなくて、できたときはほめるって、納得いかない〜。そんなこと言ったら私だって今、娘の出した水筒洗って、宿題にマルつけして、ご飯の支度して、当たり前のこと一生懸命やってるよ、当たり前だけど淡々とがんばってるよ!」
そうだ、私、娘と張り合っているんだ、と気付いた。母親として、保護者としてじゃなく、同じ目線まで下がってしまって、「私だってがんばってるもん!すごい辛いのに毎日がんばってるもん、特にこの人のために!なのに、なんで私はほめられないの?ほめる側なの?」って、ふてくされていた。
だから、自分で自分をほめてみた。ちゃんとお皿洗っていてえらいね、娘のことも、がんばって取り組んでいるね、と。私は自己肯定感が低いので、自分を認めるとか自分をほめるのが、何より苦手なんだな。それなのに、人をほめられないのは当たり前だ。
ペアレントトレーニングは、自分を認めてあげる練習にもなるかもしれない。
それから、前までの習慣でつい、「どうして私ってこうなんだろう」と、その思考癖や性格に問題を探そうとしていたけど、根本的なことに気づいた。
だって、私もアスペだよ?
それは、心にないことは言えないよ!
うわあ、もうなんか、シンプルすぎる事実。
ペアトレの講師の先生には、「そこはもう、ほら、女優モードで!」と言われて、なるほどそうだよな、と思っていたし、私も自分の心情は切り離してテクニックを学ぶのだ、と決意していたのだけれど、やはり大前提として、私に「思ってはいないけれど便宜上、思いと違うことを言う」という機能は、備わっていないのだった。
うん・・・。ゆっくり行こう。
ペアトレはたぶん、親も「育てにくい子」の同類である、という前提ではデザインされていないと思う。うちの場合はだから、ペアトレもすんなりうまく進むと思ってはだめだ。
テクニックを知ったらすぐに使える、という私ではないから。
私がこれまでの人生で「なるほど、そういうものなのか」を時間をかけて、周りを観察して、実体験からデータを集めて、やっと何とか身につけてきたように、娘との関係でも、ぎこちなくやってみる、ということを繰り返して、なんとか積み重ねて行くしかない。
基本的な筋肉がないところに筋トレするようなものだから、非常に負荷がかかるけれど、それはもう、私の課題なのでやっぱりやるしかないのだ。
ただ、やる。できるときだけやる。できなかったときは、自分を責めない。
それで、しばらく行ってみようと思う。
ペアレントトレーニング講習を受けることは、この本との出会いで決めた。
読んで学べるADHDのペアレントトレーニング――むずかしい子にやさしい子育
- 作者: シンシアウィッタム,上林靖子,中田洋二郎,藤井和子,井澗知美,北道子
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 2002/03/22
- メディア: 単行本
- 購入: 33人 クリック: 156回
- この商品を含むブログ (6件) を見る
【ペアレントトレーニングに行きはじめました】
昨年の秋頃に娘の発達の問題がだんだんわかってきたのだけれど、娘の場合は学業での問題はなく、学校でもそれほど目立った不適応があるわけではない。
あるのは、
・忘れ物が多い(特に持ち帰る方)
・あちこちに気が行ってしまって(視覚刺激に弱い)、時間を守れない
・友達とのコミュニケーションでは若干、間合いの取り方に難あり
という感じだけど、
まだ1年生なので正直クラスにはこのレベルの子はいっぱいいるし、彼女だけが突出して目立っているわけではなさそう。
幼稚園や学校では、おそらく無意識のうちに相当がんばっているのか、その分家では本来の「彼女自身」が全開で、そのギャップは結構すごいものがある。
とにかく、うちの場合は何と言っても一番の問題は、私と娘との関係の難しさ。
私は、1日中、娘が起きている間は、心が安らぐときがない。それは、彼女の誕生当時からずっとそうなのである。
出産当日までものすごく酷いつわりで、朝起きるたびに「今日もまた1日が始まってしまった。明日までどうやって耐えればいいんだろう。」と完全なる鬱状態だったが、出産はまさかの丸3日(前駆陣痛が長引いた・・・)、そしてその後に続く地獄は、つわり鬱&難産のはるか上をいく、想像を絶するものだった。
娘は生まれた時から、24時間体制で自分に全注目が向けられていないとダメな赤ちゃんだった。赤ちゃんなのになんと昼寝はほぼ無し、起きている間は冗談ではなく1日中泣き叫んでいた。多分、感覚過敏により常に何かが気に触るか辛かったのだろう、と今は思う。
まず出産直後から授乳がうまくいかず、授乳時の痛みがあまりにひどいので、そのことでまず私はすでに相当参ってしまっていた。
そしてもともと体力が人並みはずれてないのに、寝不足のところに昼も夜も金切り声で泣き叫ぶ赤ん坊を前に、私は産後すぐから「これは無理だ、やれない」と心が折れていた。
ほんとうに、寝ない子だった。
夜の寝かしつけの時間が迫ってくると、私は毎日体を強張らせて、暗澹たる気持ちになっていたものだった。まず基本的に朝から晩まで、一切床には置けない、つまり抱っこし通しで、自分のお風呂もトイレも抱いたまま入った。ベビーカーにも乗らなかった。体から離すと狂ったように泣く。で、夜になっても布団に置けないのだ。
寝かしたい時間になったら抱っこ紐に入れて、ひたすら歩き回る。家の中でダメなら近所をぐるぐる回る。そして抱っこ紐で寝たら家に帰って布団に降ろそうとするのだけれど、背中にセンサーがついていて、傾けると起きる。また半べそをかきながら抱っこ紐に押し込む。延々、この繰り返し。ほんとうに例外なく毎日、朝になるまでこれを3回も4回もやったのだ。夫も、毎日深夜過ぎに帰宅したあと、娘を抱いて明け方に近所を歩き回り、7時に家を出て会社に行った。
私の気力体力は最初の頃からすでに限界を超えていて、ただもう朦朧としながら、ぼんやりとした「でも、ほっておくわけにもいかない」という本能?で、奇跡のような最後の力で何とか1日1日やりきっていたのだった。
娘が朝まで寝るようになったのは、2歳を過ぎてからだった。
寝ないこと以外にも、とにかく過敏でいつもピリピリしていた。泣き声は普通の赤ちゃんとは全然違っていて、まるで焼け火箸でもあてられたみたいなテンションで、何時間も泣き続けた。電車などの公共の場所で泣き出すと一斉に注目を浴びるし、時々は「そんなに泣かせて、かわいそうに」みたいなことを言われる(100%おばさん)ので、外出から帰ると気絶しそうになる程疲れた。
やがて赤ちゃん期を過ぎると、強い「こだわり」が出てきた。
とにかく、言うことを、何がなんでも聞かない。
「やめなさい」と言われたことを、何がなんでもやめない。
保育園からは帰らせるのに毎日1時間かかった。道の途中で数メートルおきに何かに捕まって立ち止まり、10分の道のりは30分かかった。自分のやり方を横から邪魔されたら、最初のプロセスまで意地でも巻き戻し。地面に転がって泣き叫ぶ彼女を、冬空の下1時間も見ていたこともある。
ほんとうに、よく、生き延びたと思う。私も、娘も。
幼稚園に入る前までのことは、記憶にはあるのだけど半分はどこか、もやがかかったようになって、無理に思い出そうとすると情緒不安定になって泣けてきたりする。
完全に、トラウマである。
今でも、街でベビーカーに乗って静かにしている赤ちゃんの横でカフェでお茶しているお母さんなんかを見ると、それだけで涙が出てくることもある。
だからね、もう、生まれたときから、そしてその後の、私と彼女の間の最初の数年が、すでにトラウマの歴史なんだよね。
でも周りの同期?のお母さんとか、弟のお嫁さんなんかは「赤ちゃんはかわいい、ずっと一緒にいても飽きないよね〜」っていうトーンで、その落差がまた辛かった。
私は自分の娘をかわいいと思えず、1秒でも長く寝ていてほしい、目を開けないでほしい、と思っていて、毎日泣き暮らしていた。
そして、幼稚園に入る頃になると、言語表現の発達が早かった娘と私は、言葉のやりとりでも激しくやりあうようになっていった。
今思うと、彼女の身も蓋もないような言動や、人をコントロールして自分の要求を通そうとしたりする行動は、アスペルガーの特性から来ていたのだろう。でも当時はそんなこと知る由もないし、「どうしてこの子はこんなにしんどいんだろう。こんなに大変な子は、周りを見ても一人もいない」と絶望していた。
そんなこんなで、
【はじまり 〜娘と自分が発達障害かもしれないと気づくまで〜】 - なんだなんだ、そうだったのか
にも書いたように、その後今にいたるまで、私は娘とのことで悩み続け、希望の糸口を求めて模索してきた。
やっと、タイトルに結びついた。
ペアレントトレーニング。
これは娘の発達障害に思い当たってから割とすぐに探してきて、なんなら発達障害系の本をまだほとんど読んでもいない頃から、「やってみる価値があるかも」と思った。
それは、まず「この子自身を変えるのは、無理」と、それこそ肚の底から感じていたから。二人の関係がこのままこじれていっては取り返しのつかないところまで行ってしまう、私がこの子の人格を破壊してしまう、とずっと悩み苦しんできたけれど、向こうは子どもで私は大人で、関係性を改善する鍵は、私しか持っていない、と思ったから。
そして、自分の考え方を変えようといろんな本を読んだり、スピな方向を試したり、いろいろしたけれど、「自分」もまた、絶対変わらない、と思ったから。
それなら、変わらない大それたもの(持って生まれた性質とか、癖とか、心の持ちようとか)を無理に変えようとする悪あがきはやめて、「スキルを身につける」ことに目標をシフトしようと思った。
母親なのに、子どもをかわいいと思えない私はなんて酷い人間なんだろう。
今日もあり得ない残酷さであの子を追い詰めてしまった。
わかっているのに怒りが抑えられない。どうしてやめられないんだろう。
私はあの子の前から消えた方がいいんじゃないのか。
そういう、自己嫌悪の気持ちは、百害あって一利なしだとわかっている。
ネガティブな妄想をぐるぐると頭の中で暴走させて、それはすごく辛いんだけれど、もうパターン化された思考をオートモードで走らせているだけだから、本当はある意味、楽なんだ。で、毎日毎日、そのネガティブな妄想に身を任せていると、それをむしろどんどんどんどん、補強していってるんだ。
だから、その不毛な行為をやめて、同じような悩みを持つ人たちが実際に試してそれなりに効果があがっているような方法があるなら、それをまずはやってみたい。
「こういう考え方に変えればいいんですよ」とかいうことではなく、むしろ気持ちとは切り離して、具体的なスキルを少しずつでも積み重ねて身に付けたい。筋トレのように。
さて私は、本で読んでその瞬間は大きな衝撃を受けたり感動したりしても、これまでの経験上、自分一人で真似してできた試しがない。
まず初動の盛り上がりが続かないし、モティベーションも持続しないし、効果があるのかどうか、とか悩み出して途中でなんとなくモヤモヤとフェイドアウトしてしまう。
だから、通う場所があってガイドしてくれる人がいる、というのが絶対必要である。
と、いうことで、全8回コースの3回目まで、行ってきた。
本で読むだけと違って、人の口から教えてもらうというのはやっぱりいいし、何より宿題が出て、「次までにこれをやらなきゃいけない」という強制力が働くのがいい。
ただ実際はじめてみると、なかなか難しかったりもするわけで・・・そのへんはまた、次の機会に。
【ベイマックスとガンダムと】
この間、映画「ベイマックス」を観たんだけど、このとき私はロボットであるベイマックスに自分を重ねて観ていた。
ベイマックスに人の感情は備わっていないけれど、人間を観察してデータを蓄積して行く中で段々、少しずつ人間的なやりとりを学んでいく。
もちろん私は人間なので無感情のロボットでもなんでもないのだけど、ただ感情のシステムは少しだけ人とずれているっぽいし、感情というものにはいつも飲み込まれたり翻弄されたりして、うまく扱えない。
人間のこころの機微やそれによって起こるドラマを味わうのが目的といっても過言ではない、映画やアニメやお芝居。
そういうものは、私にとっては長い間どこか苦手なものだった。嫌いとかではなく、観ても「よくわからない」のだった。断片は楽しめるし、シンプルなストーリーや演出なら理解もできるけれど、現代では特に映像作品はとても複雑になっているように感じるので、味わう前に、行ったり来たりする時間軸を頭の中で一本の線に組み直すことや、ストーリーの整合性を理解することだけで必死になってしまう。
ときに、私の夫は、子供の頃からの筋金入りのオタクである。小学校に上がる前からアニメや特撮のとりこになり、おやつ代にあてるお小遣いを貯めて隣町まで自転車で映画を観に行き、大学では映画研究会に入り、大人になってからは(現在では違う仕事をしているが)、映像が作りたくてCM制作会社でしばらくがんばっていた。
そんな夫からオタク話を聞かされるたび、「へーーー」と流していた私。話長くてしつこいし。
それに、オタク素養ゼロで完全に受け手の視線しか持ってなかった私は、彼がすぐ監督は誰だとか演出は誰だとか、これは何のオマージュだとか、特撮の手作り愛だとか、作品を作るためには死んでもいいというほど全てをかけている愛すべき狂った人たちの情熱とか、そういう話を聞かされるたび、
「何でこの人は裏方の事情みたいなことばかり見て、お話そのものを楽しまないんだろう。いつもマニアックな分析ばかりで、正直ウンザリ〜」と思っていた。
でも、そんな夫のウザ話も、結婚して10年も横で聞かされ続けているうちに、私の中にもそういう見方や楽しみ方の視点が、知らないうちに育っていたようだ。
それから、娘(発達障害)の壮絶すぎる育児を経験してから私は変わった、というのも大きい。
以前は、私自身は生きづらさを常に抱えていたけれど、それなりに身の処し方は学習していたし、ムリなものや人や環境からは基本逃げることで、生き延びてきていた。それは自然に身につけた自己防衛スキルだった。
ところが、娘は、私にとって生まれてはじめての、「どんなにしんどくても逃げられない対象」だった。しかもお互いに発達障害の特性がぶつかり合うので、まさに毎日が、感情の嵐に飲み込まれた2匹の獣が、咆哮しながら内臓をえぐり合うような日々だった。
そんな、これまでに経験したことのない感情のジェットコースターに何年も休憩なく乗りっぱなしで、その過酷なサバイバルの中、そもそも普通の母親にとっても育児は相当大変で特別なステージなわけで、私も普遍的な「一人の母親としての成長ステップ」を上がってもきた。
情緒面の成長が非常に遅かった私だけど、子ども(しかも相当なつわもの)を生んで、否応なくその方面の荒療治というかスパルタ修行を課されたわけである。
そして娘が年長になって少しだけ分別もつき、私も前よりは少しだけ精神的な余裕ができてきた頃、気づけば急速に、テレビドラマや映画が面白いと思うようになっていた。
きっかけとなった作品は、ひとつではないけど・・・やっぱり
「あまちゃん」
かなあ。
言わずもがなの、宮藤官九郎脚本による傑作ドラマである。
とにかく面白かった。クドカンという一人の脚本家の創り出す世界と、彼の当て書き(おそらく)により役と演じる役者が相乗効果で生かされ切って、しかもその役者たちはちょっともともとの印象とは違うような意外なイメージを引き出されていて、何より楽しそうだった、というのがよかった。
それからドラマや映画をどんどん観るようになり、作り手の意図や愛を読むことが楽しくなり。
いやー、映像作品も、お芝居も、こんなに人生を豊かにしてくれるもんだったんですね!!
などと、40過ぎて感慨にふけっているのである。
普通はこういうの、感性がみずみずしい(はずの)10代とかに感じていることだろうに。
で、昨年からのマイブームは、なんと今さらなガンダムである。
(発端は昨年、深夜枠で放送された「アオイホノオ」というドラマから…)
ガンダムはファーストシリーズの放送が1979年だから、私がまだ幼稚園の頃。
そこから、ある程度世界観は共有しているものの制作陣も違う全く別モノ、というのまで含めると、すごい数の作品が「ガンダムシリーズ」として世に出されている。
シリーズ相関図とかをネットで見てあまりのカオスに挫折しそうになったけど、
とりあえず押さえておくべき「マスト作品群」を片っ端から借りてきて、集中して観た。子どもも面白がったので一緒に。
ガンダム好きな友人(女子)から「G会」(ガンダムファンの集い)なるものを結成しているという話を聞き、
「へえーーーもの好き~。ガンダムってあれだっけ?なんか青い顔の人が出てくる」
という会話をしてから、半年のうちに2シリーズ計93話と劇場版アニメまで観ていた。
というわけでとにかくガンダム漬けともいえる昨年だったんだけど、その途中で娘と自分の発達障害の話が出てきたとき、なんだか、どうして自分がこんなにガンダムにはまったのか、わかった気がした。
これまで私が目にしてきたアニメ作品は、乱暴に言うとだいたい「勇気か友情か努力が大事だ」というお話だった。で、登場人物はそれを背負えるようなオーラがあるか、そうでなくても伸びしろのありそうなキャラで、「まっとうな」人間関係構築を学び、「まっとうに」成長していく。
ところがガンダムはてんで違っていた。生みの親の富野由悠季という人が一風変わっているようで、彼の世界観もまた独特に見える。
まず主役とも言うべきガンダムのパイロットが、ガンダムに乗る理由は突発的な成り行き。しかもその後も揺れたり拗ねたりして、やたら乗りたがらない。
そして登場人物たちはみんなおしなべて不安定だったり、感情むき出しですぐ怒ったり殴ったり泣いたりする。登場人物どうしのやりとりは、ちょっと説明のつきにくい妙な引っかかりがあって、安心して見ていられないようなざらつき感や違和感が残る。それは微妙におかしな間合いだったり、掛け違いだったり、過剰に淡々とした描写だったり、脚本の妙な言語感覚だったりするんだけど、とにかく「なにかが微妙にズレてて不安定」な感じ。そして、「人と人とは分かり合えない」という悲劇が、世界の基本法則である、という前提。
説明が長くしつこくなってきた!(ハマっているだけに)
で、「ニュータイプ」という概念である。
ニュータイプは宇宙に適応進化した、特異な能力を持った新人類で、深いレベルでの意識の交感ができる(=分かり合える)。
けれどもその、超越的な能力を持つはずのニュータイプたちは、物語中むしろその特異さゆえに悩み苦しんでいるように見える。
それと発達障害とを結びつけるのはあまりにもこじつけな気もするが、少なくとも人とのコミュニケーションにおいて「わたし何か微妙にズレてる」、「なぜだかわからないけれど、これまでうっすら、ずっと苦しかった、難しかった」という感覚が、すごく共鳴したのだ。
さて、1ヶ月後には『機動戦士ガンダム』のキャラクターデザイン・アニメーションディレクターの安彦良和が手掛けた、コミックス『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』が、ついにアニメ化して上映されます。あのシャア・アズナブルとセイラ・マスの兄妹の過去、流転の物語が明らかに…!わくわく。
と、いうことで。
ベイマックスからここまで話が飛躍してしまったけれど、人生も半ばで自分の発達障害を自覚し始めた私が、「普通の人」が若い頃夢中になったようなカルチャーを、遅ればせながら盛り上がって堪能していますよ!というお話です。
【発達障害は増えている?】
発達障害の診断をされる子どもが増えてきているけれど、それってどうなの、という話がある。
グレーゾーンなのに過剰に病名をつけているのではないか、とか、
学校で昔よりも子供たちを管理統制しようという空気が濃く、少しでも大多数から外れた行動をする子はみんなすぐ発達障害にされてしまうのではないか、とか、
そもそも発達障害という「疾患」自体、製薬会社がバックにいる一部の人々が捏造したものである、とか。
それぞれの是非はとりあえず置いておく。
一理ある部分もあるだろうし、そうとばかりも言えない部分もある。
娘の発達凸凹が分かってから、私も自分自身の発達障害を疑うようになった。
そんな中、私も考えた。
発達障害が5%とか、1割とかいるって言うけれど、
そんなにたくさんいたらそれって本当に「障害」なの?
もうそこまで多いなら、単に全体の中で脳の機能がいわゆるスタンダード(んなもんあるのか?)と違うグループが一定数いる、ってだけの話じゃないの?
それでも数の原理で、9割が当たり前と思っている常識やシステムがあるなら、 少数派はそこに合わせていかないと生き残れないわけだから、 それが難しい人たちは「障害がある」ってこと?
そもそも発達障害の診断は、血液検査で抗体が出る、みたいに、可視的なもので簡単につくわけではなくて、テストや生育歴や本人の困り度などを総体的に考え合わせて下す、という、なんともグレーなもののようである。
自閉症「スペクトラム」、というくらいで、いわゆる「定型」発達と発達障害の間に決定的な違いがあるわけではなく、あくまで「特定の傾向が強い」というだけで、地続きなのである。
どこまでを「正常」として区切るか、どこを境界とするか。
社会がそれをどう定義するか、というのは、そのときどきの 社会そのものが反映されてる、ということなんだろう。
発達障害は、そもそもどうして存在するんだろう?というかどういう存在なんだろう?
まずは劣性説というのがあると思う。
なんらかの原因で脳が「正常な」発達をしなかった、これは不具合が出ている状態なので生き物としては劣性である(何かあったら滅びる)。
あと最近見かけて面白いなーと思ったのは、当事者が発信していたニュータイプ説。一つの種が皆同じ発達をしていたら、何か大きな外的衝撃が起こったときに全滅してしまう。そのために新しい、または多様性を持った発達の形態が出てきている。つまり我々は新しい可能性を担って生まれてきた!
これもどっちもあるなという感じだけど、私が現時点で採用している認識はこう。
発達障害は別に劣性ではない。ただし人間は社会的な動物なのでその社会の中でうまく生きていこうと思った時に大多数と違う脳の機構になっているということは、生存のためには不利ではある。
でニュータイプ説は、当事者としてはとてもワクワクするし勇気づけられるけれど、私は生命の進化が何かの目的のために起こっているとは思わないので、ただ、現実に、発達の仕方が大多数の人と違う人が一定数存在する、という、シンプルな事実があるだけ。
それは人間という種の中で多様性をもたらして、未来に何かしら良い結果を生むかもしれないし、別に何も生まないかもしれない。
単純に社会に適応できないため淘汰されて行くだけかもしれない。
そんなのはきっと、宇宙の知ったこっちゃない案件である。
【意義がわからない、ということ】
昔から、「それをやることの意義がわからない(みんなやっているようだけど)」と思うことがよくある。
例えば中学とか高校の頃で覚えているのは、
「物語を読む」ということ。
誰かが作った、架空の世界の物語を読む、という行為がどう楽しいのか、何のために人がしているのか、よく理解できなかった。
物心つく前から絵本や図鑑は大好きで、むしろ外遊びは苦手だったので本を読んでばかりいたけれど、それは「お話の世界に入って遊ぶ」というよりは、文字情報や言語のシステムを知って、いろいろなタイプの文章を読んだりボリュームの大きいものを読むほど、より高度な複雑なことが表現されている、ということが面白かったのと、絵本の挿絵を見るのが楽しかったのではないかと思う。
現実の話ではないのに、本や映画などの作品に感動して泣いたりする、という感覚が全くわからなかった。 また現実ではあるようだけれど世界の何処か遠くで起こっていること、例えば飢餓に苦しむアフリカの子どもの映像などを見ても、特に感情が動かず、自分はおかしいのかと悩んだこともある。多分、自分の経験値から推測できないことについては、どう感じていいのかがわからないのである。
(感情の形成は、私の場合、普通の人よりかなり遅かったと思う)
※その後、犬を飼ってからは、捨てられて殺処分にされたり残酷な動物実験に使われたりする動物のことを思うと煮え繰り返るほどの感情に襲われ、「動物を虐待する人間を暗殺する仕置人になりたい」と思ったり、大学でネイティブアメリカンやアイヌなどの先住民の権利回復運動に関わってからは、世界で理不尽な扱いを受けている弱者に自分が情処不安定になるほどシンパシーを感じたりと、少しでも自分が実際に接点を持った対象に対しては、逆に距離感がつかめないほどの思い入れをすることがあった。
話がそれた。
あと、スポーツなどで勝敗を競うことについて。
あるルールにのっとって、ボールをどこかに入れたり打ったり、走ったり飛んだり、速さやら高さやらを競う。
それはつまり、その競技ごとのルール=制約の中で、体を鍛えたり訓練したりしてその成果をぶつけ合って、勝ったほうはより努力をしたということで、その頑張りが評価されるのが嬉しい、ということ?
・・・という、なんか映画でロボットが人間に質問している場面のようになってしまう。
とくに団体競技で勝ったら嬉しい、というのがよくわからない。
オリンピックで当たり前のように自分の国の選手を応援するというのも。
同じ国籍があるからといって私はその選手を知らないし、外国の選手も同じようにがんばっていて、ドラマはみんなにある。同じグループに帰属する人に無条件に肩入れしたり共感するのが「普通の人にとって自然のこと」であるなら、私はやっぱりそこはわからない人なんだなあ。
同じように、紅白歌合戦とか運動会の紅組白組で勝敗を決めるというのもわからない。大勢の人を無作為に二つに分けて、別に同じ組の人に何のシンパシーもないのにその日だけ団結意識を持つように、ということになって、最終的にどちらのグループが合計点が高かったから勝ち、と言われても、もうさっぱり喜ぶ理由がわからない…。
ここまで書いたような、割と「本当になぜだかわからない」ということに加えて、
一般的にも「これって意味ないよね・・・誰得?」とみんなが思っていながらなぜか消えない慣習とか、そういう種類の「わからないもの」にも、多分普通の人よりダメージを受けがちである。
PTAでとにかく全員が「公平に」負担を負わなきゃならぬ、とか。
組織内の意味なしローカル・ルールとかね。
ただ、これまで生きてきて、そういうことを感覚的にはわからなくても、「何だか知らないがそういうことになっているのだ」ということは学んできた。そして、そういうことなんだよ、と説明されてから改めて取り組んでみたら、「何かちょっとわからないではない」と思えるようなこともある。
この、「意義がわからない」という感じ、おそらく大人になった今ではそれなりに薄まってはいて、社会でも多分必要以上に合わせたりすることもあって、外的な軋轢はそれほどないのだけれど、自分の中での処理にはかなりストレスがかかる。
これはもともと搭載されてる機能ではないので、私の場合は周りの人の行動を観察して、データを蓄積・分析して行きながら、「こういうものなのだ」というのを後天的に学習して補強し続けていくしかなかったのだと思う。
「なぜやるのかわからないけどどうやらみんなこれが面白いらしい、あるいはやらなきゃいかんものらしい」ということに対してバランスの取れた対応をとるのが難しく、
どうしても感覚的に受け付けないので「ちょっとKYでマイペースでこだわりが強い面倒くさい人」になってそういうものを避けるか、
逆に「嫌ならテキトーに去ったり力抜いたりすればいいのに」というところで必要以上に「期待される対応」を取ろうとして、へとへとになったりする。
どっちにふれてもものすごく疲れるので、この辺のさじ加減がもっとうまくなればいいんだけどなあ、と思う。