なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【頭痛持ちと発達障害】

私はひどい頭痛持ちである。

小学校に上がったくらいの時からすでにしょっちゅう頭が痛かった記憶がある。

あと、頭痛と同時に、子どもの頃から常に肩とか首は慢性的に凝っていた。

 

「頭痛」は、これまでの人生で私を苦しめてきたもののうちで、一番大きいものかもしれない。とにかく、常に身体中がバリバリに凝っていて、頭は常にちょっとは痛い。そして走ったり階段を登ったりお風呂に入ったりして血流がアップし心拍数が上がると、どくんどくんと脈打って痛む。

 

普段は肩凝りや首凝りと連動している緊張性頭痛なんだけど、これが高じてスイッチが入ってしまうと、拍動性でかなり強い痛みの片頭痛になる。

 

片頭痛発作になると、まあまず丸1日死ぬ。頭をちょっと動かしても痛いし、とにかく身体のどこかを動かして血流が増えれば頭にズキンズキンと響く。光も音も受け付けない。

 

こうなると全く動けないので、出先にいたら帰れないし、家にいても立ち歩くこともできない。といって、寝ればいいのかというとこれもダメで、横になると頭に血液が流れていくので無茶苦茶痛い。というわけで、ものすごく痛いしものすごく消耗してるのに眠ることはできず、ただただソファとかに座ってじっと痛みをやり過ごすしかない。

 

鎮痛薬は常用すると依存性が出て良くないので片頭痛の薬を処方してもらっているけど、これをうまいタイミングで飲んだとして、効く確立は半々。薬が効いたとしても、痛みが引くまでに最低1時間、効かなかれば堪え難い痛みはだいたい半日くらい続く。

 

この、片頭痛発作は月に数回は確実に起こる。ストレスが続いたときなんかはもっと。

 

頭痛は、本当に辛い。

見た目にわからないし、あまり酷い頭痛を経験したことがない人は、

「頭痛?風邪とか二日酔いのときのあれでしょ?でもまあ、頭痛いだけだから、歩けるよね?」

って感じらしい。

 

いや、まったくもって歩くとか無理。

苦痛に耐えきるだけで、もういっぱいいっぱいである。

 

この頭痛が、子どもの頃から本当にありとあらゆることを試してもなくならない。薬、漢方薬、鍼から、フラワーエッセンスとかのあっち系まで。

頭痛だけがきっかけじゃないけど、山盛りの不定愁訴を改善したくてマクロビをかじったこともあったし。

しかしやっぱり治らないのである。

こんなにしょっちゅう頭が痛くなる人生なんてもう嫌だ、死にたい!とまで

思ったことも1度や2度ではない。

 

で、いろいろあがいてるうちに人生半分まで来てしまった。「治る」と思っていろいろ期待をするのは辛かったので、今は「あまり副作用とか考えずに片頭痛薬で抑える。効かなかった時はあきらめる」ということでつき合うことにしている。

 

それで、この頭痛。

もしかして発達の問題とおおいに関係があるのでは?という気がしている。

 

頭痛の引き金になる首と肩の異常な凝りは、極度の筋緊張によって起こる。交感神経が常に優位になっている状態でもある。

私は、「リラックスする」「気を抜く」のやり方が、よくわからない。常に何かしら緊張しているのである。

仕事も、終わってからも切り替えができなくて「次はあれをああして…あれも忘れないようにして…あ、メモしとかないとダメだ、あとそういえばあれも!」とかぐるぐる頭を占拠しているし(別に大好きな仕事でも、重要なポストにいるわけでも何でもない)、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚すべてナイスな過敏体質なので、全方向的にアンテナが立っていて、全部ダイヤル10くらいで刺激を拾っているので常に何かしらにやられて「あう!!」ってなっている。

 

普通の人で言ったら、「数秒おきに見えない剣山で身体のどこかを突っつかれるので、身体がカチコチになってる」みたいな状況ではないだろうか。

 

それから、感情面、特に怒りの制御ができないので、湧いてきた負の感情をうまく短時間で処理することができず、長い間醸成させて頭の中に抱えてしまうということも大きな要因だと思う。

 

要するに、受ける物理的/心的ストレスの量がとても多く、そのストレスに慢性的に対峙している、ということ。それでは、対ストレスモードを機能とする交感神経が休まるはずはない。

 

「もうちょっと気楽にやりなよ」

「力抜いたら」

というのは、「そっか、いいのね、じゃあそうする!」って出来る人は

とっくにやっているので、正直、言ってもらっても全く意味がない。

どうしたら本当に具体的にリラックスできるのか、その技術を知りたい!

 

数年前、私と娘の関係が文字通り修羅場だったときに堪え兼ねて一時坐禅瞑想に行っていたのだけど、これは「長く続けたら良さそうだ」という手応えが少しあった。瞑想が実際に脳の灰白質を再構築するようだ、というハーバードの論文を最近見かけたけれど、たしかに瞑想は、精神性とかじゃなく具体的な結果をもたらす「スキル」であるような気はした。

瞑想、やるか…。継続が苦手、無理!という言い訳がコンマ5秒で浮かんできたが、

本当は時間とれるよね?朝10分とか!

やるか!???

 

【やってくれて当たり前】

娘はたぶんASDで、そのせいか、基本「女王様モード」である。

 

と、言っても、「あなた、私のためにこれしなさいよ!」という女王様ではない。

ただ、当たり前に、人は自分のためにいろいろやってくれるもの、人は自分のペースに合わせるもの、と思っている。思っている、でもないな。無自覚に、ただ、そう。

 

で、私もASDなので、当然私は私で「そっちが合わせろ」ってなっちゃう。そのぶつかり合いで、どちらかがもちろん折れて自分を曲げなくてはいけない。そしてその「折れる、曲げる」ということは、私たちにとってものすごく苦しい。そのことに気がつくまで、娘と私の関係は本当にひどかった。

 

エピソードをあげようとすると、どうしても「すごいつまんない、大したことないこと」に思えるんだけど、そのときは私たちにとっては大ごとなんだよなあ。

 

たとえば、娘は学校から帰宅したあとに手洗いうがいをし、ランドセルや上着や帽子を片付け、宿題をやる、という一連のやるべきことをやるのに、放っておいたら永遠のような時間がかかる。というかやれない。ので、これまでずっと私は、それこそ何十回、いやもしや何百回?と怒鳴り、涙がにじんでくるくらいヒステリー起こして、最後は訳がわからなくなるくらい怒り狂って修羅場になる、というのを毎日!繰り返していた。

そして、ブログの最初の方に書いたように昨年あたりからやっと、ことを認識しはじめ、ペアトレに行ったりして少しずつ取り組み始めたのだけど、

そう、エピソードをあげるんだった。

 

その「学校から帰ったらやることリスト」を、口で言っても埒があかないことがやっとわかったので(とゆーか分かれよ…私の融通の効かなさ、他の方法を考えられない固さも異常だ)、ホワイトボードに書いて、終わったらチェックする、という風にして、状況はだいぶ改善した。

けれど、やっぱり娘は特性持ち。そう簡単に全ては進まない。

たとえば、帰ってきて、何か自分なりに別にやりたいことがあったとき。彼女は「やることリスト」よりも前に、まず自分の目についたことを先にやって、手洗いとかはその後だ、と言って順番を変えてしまう。一度そう決めたら、絶対に曲がらない。

 

「それ、別によくない?」という感じ?

 

あとは、◯◯を作るけど食べる?といってすすめたときに「要らない」と言っても、みんなが食べ終わってから「やっぱり要る。今から作って」となる。昼食のラーメンをまた一人分作り直しとか。

 

なんか・・・大したことないといえばないような・・・

 

まあつまり、一時が万事、「私の欲求とペースのままに」ということだ。

そして人がそれに合わせて、自分のために時間やエネルギーを使っている、ということに思い至らない。だから平気で待たせたり、世話をさせたり。

 

で、こっちは人並み以上に自分のペースを守りたいし、それが外圧で崩されるとパニックになる人なので、もう彼女と一緒にいたら朝から晩まで、片っ端から自分の予定をつぶされては力づくで曲げられていく、ということの連続で、ヒステリーで消耗死してしまうんじゃないかと思うほどである。どうして私は、奴隷でもお手伝いさんでもないのに、こうして自分の意思をすべてねじ曲げられて、時間も労力も投げ出さなければいけないのか。どうしてこんなにやっているのに、この子は「すべて当たり前」という顔をしているのか。

 

でも、この前ふと、気付いたことがある。

娘が学童のイベントでお弁当だったとき、帰ってきてお弁当箱をいつまでも出さず、イライラしていたとき。

「あーーー、私もそういえば、感謝の気持ちって、長いことわからなかったなあ」と。

私も、子どもの頃は、親がいろいろ自分のためにやってくれることは全部当たり前と思っていた。そういえば。

お弁当を作ってくれるのも当たり前だったから、お礼も言わなかったし、お弁当箱もしょっちゅう出し忘れたし、何なら「おかずが茶色過ぎる」とか文句ばかり言っていたよ。そういえば!!

お小遣いをくれるのも、駅まで送り迎えをしてくれるのも、ご飯やおやつを作ってくれるのも、遊びに連れて行ってくれるのも学費を払ってくれるのも留学にまで出してくれたのも、全部当たり前と思っていたよ。

 

うん・・・同じだ。

正直に言って、内側から自然にわき上がってくる感謝の気持ち、というものを自覚するようになったのは、もう相当大人になって、いい歳になってからだ。

「ありがとう」を言うべき時には言えだけど、それはたぶん後学によってTPOを覚えたから。本当に「ああ、感謝感謝だなあ」って感じるようになったのは、もしかしたら子ども生んでからじゃないかな〜。

 

「気持ち」は、自発的にしか生まれて来ない。

それは、外から教えられるものじゃない。

だから今は、「どうしてこの子は感謝してくれないんだ」と悲しむのはやめよう。「こういう態度では学校で困るから、教えなくてはいけない」って、自分を正当化していたけど、正直なところは「私に感謝してくれない」という悲しみ・恨みだった。

 

「人を待たせないようにしよう」

「こういうときは、ありがとう、って言うんだよ」

「こうされると、人はこういう気持ちになるんだよ」

と、ひとつひとつ伝えていくしかない。

大丈夫。ASDは人の気持ちがわからない、ってよく言われるようだけど、わからないわけではない。ただ、相手の気持ちやそこに至る経緯を想像できるようになるのに、すごく時間と経験が要るんだ。

あとは、人の気持ちなんて、定型者だってもちろんわからないわけで。

 

私だっていまだに似たり寄ったりだし、今も発達途上だし。娘は娘のペースで、少しずつ経験を蓄えながら育っていけばいいんだ。

こういうとき、同じ特性を持っていることは、理解の助けになる。

 

【死ぬことについて考える】

この前、スティーブ・ジョブズの伝記映画を観ていて、「あれ、この人って死んだんだっけ?」と分からなくなった。

 

これ、私よくあるのだ。テレビに高齢の俳優が出ていたりすると、その人がまだ存命なのか亡くなったのかわからなくなるし、芸能人ならまだ「訃報を知らなかったのかも」と思えるけど、なんと親戚とかでも、同じことが起こる。

 

ひどいのは、ひいおばあちゃんが亡くなった後何年も、「あれ、亡くなったんだよね?」と時々わからなくなってしまったのだった。

(亡くなったとき私はアメリカに住んでいたし、そもそもひいおばあちゃんは遠くに住んでいて、小さい頃一度しか会ったことはないんだけど)

 

人の死を、くっきりと受け取れない。ような気がする。

生死の境界線のイメージも希薄なんだろうか。

 

昔から、「死への恐怖」が今ひとつわからない。だけど、そこへ至るまでの痛みとか、病気の苦しみとかに対しては、たぶん人一倍恐怖心が強い。実際、全ての感覚が過敏なので、他の人には対したことない痛みでも、私には堪え難いほど痛い、ということがよくある。ただその向こうにある、「死んでいなくなる」ことに関しては、あまり怖いイメージがないのである。あ、死んだら親が悲しむからそれは辛いな、というのは、ある。

 

二十歳くらいの頃、丸1年以上ひどい鬱になり、勤めから帰ったらまっすぐ部屋にこもって、窓の外の空を見ながら毎日ひたすら何時間も泣いていたことがあった。

そのとき、星空とか宇宙のことを想うのは救いだった。

人の世はごちゃごちゃして、混乱する。宇宙はひたすらひんやりと無機的で静かで、星が生まれても爆発して消えてもそれは一瞬の瞬きで、物理法則にのっとって原子や分子が運動している。その集合体が、永遠とも言える時間の流れの中で、ただそこにあるだけ。

 

人が亡くなったとき、私は何とも言えない気持ちになるけれど、一般的(というのがあるなら)な人の反応とは、ちょっと違うような気がする。

例えば、誰かが亡くなってそのお葬式に来ている人のインタビューをテレビで見ると、みんな揃って苦渋の表情で、涙を流し、必ずと言っていいほど「早すぎる」「惜しい」と言う。私は・・・正直、それがわからない。泣かないと冷たいとか言われるのも、違和感がある。派手に泣いている人の方が心が温かい、とかやっぱり思えない。

人は長生きするのが幸せとは思えないし、誰にでも死はやってくる。やってきたのが、そのときなのであって、そういうことになっていた、と、思ってしまうんだけど。

 

もちろん、「もっと生きていたらやりたいことがあっただろうに」とか、「まだこれからいろんな経験ができたはずなのに」とか考えたら、それは悔しいし悲しいけれども、それって「だいたい80歳くらいまで生きたら、人として一通りのやるべきことは終わるだろう」と根拠なく考えられているからで、小さい人でも濃く充実した幸せな生を全うすることもあるだろうし、100歳を超えても情熱に溢れていてやり残したことだらけ、という人もいるだろう。

 

私は、死んだ後にそっくりそのまま一人の別人として生まれ変わる、とは思っていない。でも、全くの無になるとも感じない。私という意識を包んでいるこの膜が消えて、「たましい」みたいなものも霧散して、そしたらそのあとには私を作っていた細胞やら骨やらが分解されて単純に炭素とか水素とかの元素にまでばらばらになって、この宇宙に還っていく。それって、やっぱり、恐怖というよりは安らぎのイメージなんだよなあ。

 

私は小さい頃動物や生き物が好きで、常に何かしら家には生き物がいた。虫とか、取ってきたヤドカリみたいな小さいものから、りす、ハムスター(何世代も増えまくった)、そして最後は20年近く長生きした柴犬の親子まで。もちろん生き物はどんどん死ぬので、うちの周りの土の部分は、そこらじゅう何かのお墓で埋め尽くされていた。そこに雑草でも花でも植木でも生えていると、「あー、この中に入っていったのかなー」とか、よく思ったものである。

 

死ぬ間際に苦しむことだけが、怖くて悲しい。それから自分が愛着(執着なのかも)があるものが自分の世界からいなくなることも、悲しい。でも、「死ぬ」=「悲しい」「不憫」というのとは、ちょっと違うのだと思う。

 

ただここまで書いてきたことと矛盾するようだけど、子どもが生まれて、死生観みたいなものは大きく変わった。

やっぱり子どもが死ぬことを想像したら気が狂いそうになるし、自分自身が無くなることは恐怖ではないけれど、もう子どもの成長していく姿を見られないことと、彼らが必要としてくれているかもしれないときに去らなきゃいけないのは、とても辛いと思う。

 

これは死生観というより、単に「自分の本当に身近な人間とか、経験したことにしか感情が動かない」ということなのかもしれないなあ、と思ったり。

 

そういう意味では、「人とちょっと違う」のではなくて、スタートレックのスポックみたいに、経験の中で少しずつ人並みの感情を育てていっている途上なのだろうか・・・。

アラフォーなのに!

 

 

 

 

 

【ハマりやすく冷めやすい】

常に何かしらのマイブームがある。

 

歌手、俳優、漫画、お勉強もの、あとは何というかまるっと、特定のジャンルもの。

体メンテ関連とか、スピとか、サブカルとか。

 

ハマったものに集中すると、とりあえずそれ一色になる。

 

例えば好きな作家ができたらその人の作品を片っ端から続けて読む。

 

歌手ならもう、しばらくその人の音楽しか聴かない。ひたすら好きな数曲を狂ったようにリフレイン。

 

漫画やアニメやドラマなら、作家の関係の深い仲間まで興味が及んで、数珠つなぎ式に「その界隈のひとかたまり」の周辺情報をあさる。

 

で、これが微妙に極めない。

 

完璧に全てを網羅するわけではなく、自分的に深入りが面倒なところはほっておく。

そして一定期間経つと、あっさり熱が冷めて、憑きものが落ちたように興味が薄れる。

 

これ、近親者からすると結構引くっていうか失笑レベルらしい。

「えっと…今度は何ですかw」みたいな。

 

例えばお金も時間もエネルギーもかなり投資して、長いと一年間とかかけてスクールに通う、とかいうこともあり、でもその後情熱は冷めてしまうし、ビジネスに結びつける別の才能(セルフプロデュースとか)も無いので、仕事になるわけでもなく、なんとなく自然消滅していく。

 

つまりインプットに次ぐインプット。興味のうつりゆくままに面白いと思うことを見つけては、消費して次へ行く。アウトプットなし!

 

これ、ずっとコンプレックスだった。(今も多少)

「気がついたら好きなことをで手を動かさずにはいられなくて、ただ絵を書いているうちにイラストレーターになってました!」みたいのに憧れ続けつつ、結局人生半ばまで「これだ、これをずっとやっていく」みたいなものには出会っていない。と、いうことは、私はもうこういう性質の人なので、ひとつのことを極める、という展開はこれからもないのだろうと思う…。

最近はなるべく、自分を責めないことにしているけれど。

 

これ、単なる性格だと長らく思っていたけど、最近自分の発達特性を知ってから、合点が行く感じがしている。

 

次々何かしらにハマっていくのは、記憶に新しい快感を反復して味わいたいからで、その欲求が定型の人より強いからではないかと思う。

 

なんで生きてるのかとか、人はどうあるべきかとかの、答えになる基軸を自分の中に持っていない。まっさらな状態で生まれてきて、後からいろいろインストールされたものによって自分の存在意義を保っている感じなので、基本自分というものが透明で、空虚な感じがいつもある。

 

だから、「面白い、楽しい、おいしい、うれしい」という瞬間瞬間の快感を反芻してつないでいくことで、生きてることを肯定し続ける必要があるんじゃないかなあ。

 

食べものへの執着もすごいし。

依存体質。

陶酔感や興奮を求めるので、私がもし薬物に手を出したりしたら、人生詰むな。。。

 

 

今はというと、引き続きガンダムブーム絶賛続行中!

【ベイマックスとガンダムと】 - なんだなんだ、そうだったのか

 

なので、鬼のように繰り返しガンダムユニコーンのサントラ聴いてる ^^

ガンプラとかまでちょっと欲しくなってきている(汗)

 

 

【異文化への興味】

当時はもちろんなぜだか全然わからなかったのだけれど、とにかく思春期も青年期も生きにくかった。みんなと同調するのがしんどかった。

 

大学時代〜20代前半は、精神的にかなり底だったのだけど(詳細は省く)、私は大学の半ばくらいから異文化への興味が大きくなり、一人旅にでかけたり留学生の友達と過ごしたりする時間が、いちばん自由で風通しがよく、縮こまった心が大らかに広がって行くように感じられた。

 

生まれて初めての海外旅行は、大学3年のときのミクロネシアへの3週間の旅。沖縄、台湾、そしてミクロネシアポリネシアまでの南島文化を研究するゼミに入って、その影響で行ったのだった。当時のヤップ、トラック、ポンペイといった島々は、女性が腰みのだけで歩いていたり、夜には電気も水道もなかったり、空港もヤシの木で葺いた掘建て小屋みたいだったり。

(やはりいつも孤高というか一人でいることが多かったドライな友人と二人で行ったので、いわゆる女友達どうしで行くぺったりした旅行ではなかった。)

 

八重山諸島にもいっとき夢中になり、一人旅も含め何回も足を運んだ。

 

南の島々で出会った人や自然や街の風景は驚きに満ちていて、新しいものと出会う経験は細胞のひとつひとつを生き返らせるみたいだった。

そうした異文化の地は、私にとって厳密にいうと「旅行先」ではなく何かもっと切迫した内的な乾きから「行かざるを得ない」という感じで、帰りの飛行機では帰ってからの日常に空虚さしか見いだせず、もぬけの殻になっていたものだった。

 

その後、国際先住民年というのがあり、ネイティブアメリカンやアイヌアボリジニといった世界の先住民の権利回復運動みたいなものに一時関わって行くのだけど、これがいろいろあって自分的に挫折して、その後がっつりと数年間、鬱に苦しむことになる。

 

鬱の話は割愛。

 

就職後、1年でやはり鬱のためギブアップとなり、私は約1年の自宅での廃人生活の後、単身渡米して、3年間学生生活を送った。

そのへんの経緯もとても長くなるので割愛!

 

今回したかったのは、「私は異文化に惹かれる人間である」という話。

 

考えたらそもそもなぜか昔から英語の勉強は好きで、わからないことは大きなストレスではあったけど、それ以上になんだか知らない世界への鍵を手にしているみたいでわくわくした。中高一貫の女子校はミッションスクールでネイティブの先生の授業も多く、英語には自然に親しんでいた。

 

外国の人と話をするとき、あるいは沖縄でも海外でもいいけど異文化の地に行くと、私はいつも大きな開放感を覚える。

誰でも多かれ少なかれそうかもしれないけれど、私にとっての「今いるところでの閉塞感」と「違う広い世界を知りたい」という気持ちは当時のっぴきならないくらいに大きくて、私は大学を出て勤め始めたとき完全に窒息し、「このままでは精神的に死ぬ」というところまで追い詰められて、結局逃げるようにしてアメリカ行きを決めた。

 

アメリカでの生活は、実際上はもちろん大変なことはたくさんあったけれど、それでもやはり日本にいたときより、気持ちの面では断然自由でリラックスしていた。どうしてだろうとこれまでも随分考えたけれど、一番はやっぱり、他人の間では認識が違うことが前提、ということが楽だったのだろう。

日本人は特に、いろんなことを共通認識として持っていて、「こうあるもの」「こう感じるもの」「こう考えるもの」 、というのが決まっている。で、アスペルガーの私にはそれが生来には備わっていないので、私にとってはその「社会的な共通認識」は、後付けで身につけなければいけない、学習の対象だった。

 

それがアメリカでは、「相手が何考えてるかは分からない。分かりたかったらコミュニケーションを取って、言葉で説明して、分かり合うしかない。」が当たり前。

つまり、感覚的に持っていなければならない共通スタンダードというものはなくて、個別の相手との間で言葉による伝え合いをして、暫定的共通認識を形作る、というやり方で良かった。

それは、行間を読んだり空気を読んだり、表現されていないことを推測することが苦手な私には、向いているコミュニケーション方法だったのだろうと思う。

日本語で話すときの私と英語で話すときの私は、ずいぶんとキャラが違う。英語で話すときのほうが、はっきりものを言えるし、シンプルで正直なやりとりが出来るように思う。

 

アメリカに限らず、私は異文化と出会うことが好きだけれど、それは「未知の価値観を対象として観察したり研究したりする」のが楽しいから。自分がいるこの場所でも、実際は人知れずそうやって「わからないから観察、研究」してきたのだけれど、自分の属する社会の文化は自然に身に付いていて当たり前ということになっている。でも外の文化については、思い切り「知らないのでベンキョウしまーす!」ができる。

 

こうして書いていて、だいぶくっきりしてきた。「知っていて当たり前」「同じ感覚を共有していて当たり前」というプレッシャーが、つまりは一番の負荷なんだろうな。

 

しかし怒濤の結婚→出産→育児(→アスペルガー発覚!)のこの10年以上、ほとんど異文化となんて触れ合っていない…。

そろそろまた、そういう欲求が出てきているなあ。

一人外国旅とかしたい!英語ももう一回もうちょっとやりたい。

あ、夫や子どもはものすごい異文化とも言えるが、それはまた別の問題。

 

 

 

【マルチタスクが苦手なんだけど…】

マルチタスクが苦手、っていうと、「一度にたくさんの仕事を抱えて並行して進めるのが無理で、ひとつのことに集中したいとかだよね。」と、さらりと思われると思う。

 

昨日、子どもを連れて商店街を歩いて、パン屋と公園とスーパーに行って、帰って来てへとへとになり、今更だけど気付いた。子連れで商店街を通って買い物ミッションを遂行して帰ってくるというのは、とてつもないマルチタスクである!というかもう無理ゲーである!!

 

一人で子ども二人(上:アスペルガーADHD、下:不明だけどADHDっぽいハイパー感はあり)連れて外出、は私の場合ハナから無理なので、休みの日に二人を連れ出すときは当然、夫も一緒である。

(夫はこの二人を連れて外出できる…)

 

で、大人二人で子ども二人を見ているのに、とにかく目が離せない。二人とも、基本まっすぐ道を歩くことができない。高速でジグザグに動き回るので人にぶつかりまくる。で、夫は「子どもなんだしある程度仕方ない」とあまり気にしないんだけれど、私は子どもたちにぶつかられて不機嫌な顔をしたりイライラしている人の気配をキャッチするたびにダメージをくらって、商店街を駅まで突っ切るまでには、HPがすでに0に限りなく近づいている。

お店に入れば、手当り次第にものを欲しがったり(娘)、商品を触りまくったりカゴに入れたりカートの下の段に乗り込んだり)(息子)で、ろくに買うものも選んでいられない。

 

で、公園では、遊び自体は意外と地味だけど、もう、本当に、か・え・ら・な・い。

それをやっとのことでひっぺがして帰る頃には、もう焦点が定まらないくらい疲れている。で、もちろん帰り道にも商店街である。

 

いわゆる「普通の」子連れ家族は、これを楽しそうに、難なくやっているように見える。カフェでおとなしく家族でお茶したりね!まあ他と比べても本当に仕方ないんだけれど。やっぱりきゃっきゃ談笑しながら子どもと落ち着いて買い物したり外食したりしている親子連れを見ると、単純にうらやましい。

 

そう、マルチタスク

一般にマルチタスクという言葉からイメージされるであろう事柄より、私にとってはずっとずっとたくさんのことが、というか基本的に日常のほとんど全ての些末な行為のひとつひとつが、私にとってはマルチタスクなんだなあ。


さっきの「子連れで買い物」の例で言えば、子どもの安全を常に確認し、飛び出す手を引っ張り、前から来る人や自転車をよけて、後ろから来る人にも道をあけて、その「安全を確保しながら何にもぶつからないように歩く」ということを継続しながら、複数の目的地に到達し、物をゲットし、それをつないでいかなければならない。

 

いつも私が感じている「生きてるだけで相当疲れる」というのは、おそらく起きてる間中絶え間なくこのマルチタスクをこなし続けているから、ということが大きいんだろうなあ。そして、そのタスクをこなすというアウトプットに加えて、むしろもっと大きい要因であろう、「全方位的な超・感覚過敏」という、インプットの情報過多がある。

過酷!!

 

はい、過酷です、まじで〜。

疲れる。けど仕方ない。

 

この疲れを、周りのひとに理解してもらえればとても嬉しいけれど、経験したことのない感覚的な部分を理解しろというのは、やっぱり、不可能である。

それを押し付けがましくなく、当たり前のようにでもなく、出来るかぎり相手に「想像してみよう。必要ならサポートしよう」と思ってもらえるような伝え方を身につける、ということが、課題だと思う。

 

 



【アスペルガーの診断、余裕で受け止めた気でいました】

とある本を昨日図書館で借りて読んでいる。

それで、興奮しながらこれを書いてる。

 

私がアスペルガーの診断を受けたのは、先月の今頃。つまりまだ1ヶ月くらい前。

この診断に先立って、すでに自分でいろいろ調べていたし、自分自身のことがモヤモヤしてわからないよりは、はっきりと「あなたはこうです」と言われた方がすっきりすると思っていた。

だから診察も、診断結果を聞きに行くのも、不安よりはむしろ、自分の中で一区切りついて、これからの展望が開けるんじゃないか、新しいスタートラインに立てるんじゃないか、っていう期待の方が大きかった。

 

実際、診断が降りたときは、ほっとした。

ああやっぱり自己診断はおおむねその通りだった。この先は、こういう私がどうしたらもうちょっと生きやすいか、もうちょっと子どもや夫と良い関係を築けるか、具体的な工夫をどんどんしていけばいいんだ。

と、思った。

 

それは本当にそのとおりで、そのために今も、引き続き情報収集をして、少しずつ前に進む道を探している。それがなかなか難しいことであっても、少なくとも「なぜこんなにいろいろ辛いのか」の中身がわからなかった以前に比べて、「辛いポイント」や「なぜそうなのか」がだいぶ分かるようになってきたので、改善したいと思ったときにとっかかりがある、というのはとても大きい。

 

私は、「障害」を割合スムーズに受け入れて、前へ進むことができているんじゃないだろうか、という感じがしていた。

 

で、冒頭に触れた本がこちら。

アスペルガー症候群だっていいじゃない (ヒューマンケアブックス)

アスペルガー症候群だっていいじゃない (ヒューマンケアブックス)

 

これは、しーたさんというアスペルガー当事者の著者が、わかりやすい4コマ漫画を織り交ぜて綴ったアメーバブログの内容を、書籍として出版したもの。

何かで目にして、ブログの方の内容を少しだけ覗いたらとてもわかりやすそうだったので、さっそく図書館で借りてきたのだ。

 

あのう、この本、すごいんです!!!

うーーーん、と声に出してうなる本って、そうそうない。

かわいい絵柄の漫画と、「わたし」について書き連ねられた文章。

「よくある感じのやつだろーなー」と、正直思いながら読み始めた。

ら、

見た目のソフトさ、軽さと全然違う、すごい著作だった。

 

誰にとっても「すげえ!!」ってなるかどうかは、わからないけれど、相性とタイミングが良かったんだろうと思う。まずは、私自身のことが書いてあるのかと思うくらいに、エピソードや困りごとに共感できることが一つ。

それから、障害を受け入れて前向きに生きようとしている、と思っていた、診断1ヶ月後の私の心の状態で、まさにぴったんこのタイミングでこの本に出会った、ということだと思う。

 

まだ半分くらいまでしか読んでいないのに、今のこの感触を忘れたら書けない!ということで、途中でこれ書いてるからね。(ADDだからメモリに置いとける時間短いし)

 

私は本はいつもまえがきとあとがきを先に読む、というクセがあって、今回もそうしていた。この本のあとがきは監修者であり児童精神科医師・臨床心理士田中康雄さんという人が書いている。

私は基本的に、簡単に感動したり、本を読んで泣いたりできるタイプの人間ではない。それなのに、このあとがきの一部を読んだときに、思わず涙が出てきてしまったのである。

 

その部分を、すこし長くなるけど、引用しようと思う。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

私は、(中略)アスペルガー症候群のある人たちの世界を、「かれらは、非常な恐怖感、不安感、不全感を日常生活場面で抱き続けて生活している。さらに、なかなか世界の取っ手をつかめずに生きているように思われる。そしてそれを、かれらは生来的に『当たり前』と理解している。別の生き方を経験できないでいる。かれらは、その不確定さ、不確実さが生来的な感覚であるがゆえに、そこに違和感を抱くよりも、不明な、安心を提供しない周囲の関わりや状況に、強く継続的な違和感や疎外感を抱いて生活をしている」という前提を忘れずに向き合おうと思っています。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

わかってくれて、ありがとう・・・と思った。

そうだなあ。私の世界は、そのとおり、恐怖感、不安感、不全感でいっぱい。でもそう思うことに、どこかでずっと罪悪感を持っていた。

発達障害なんて言葉に接点のなかった半年ほど前まで、私はこのネガティブで恐怖と不安に埋め尽くされた自分の思考にほとほと嫌気がさして、自己啓発とか精神世界方面からなんとかヒントを得ようともがいてきた。

で、いろいろ異なるジャンルに手を出しても、私が読み取るメッセージ?はだいたいこれ一点に尽きた。「この世界を作っているのは自分の認識(脳、もしくは心が投影されたものが世界)。そこを変えなければ、幸せにはなれない。」

だから、私はこの恐怖や不安をどうあっても払拭しないといけない、ネガティブに捉えれば世界はネガティブにしか映らない、その思考癖は自分で抜け出すしかない、それができないのは結局どんな現状でも維持している方が楽だからだ、と、ふがいない自分を責め続けてきたのだった。

 

そっか、気の持ちようではなかった。

「生来的に」そうなんだよ。

この恐怖と不安は、もう、持って生まれた宿命とでも言うべきものなんだ。

私、ずっと苦しくて不安で怖かったけど、それは仕方なかったんだ。

 

そうして、この本との出会いに何か直感的にとても大きなインパクトを感じながら、本文を読んでいった。

著者のしーたさんは、自身の「障害」を、「能力が欠如している」のではなく、ただ「違う」のだ、という書き方をしている。それは、専門家が「脳の作りが違うんですよ」と学術的な意味合いで言うのとは重みが違って、ご本人が当初、診断に落ち込み、「自分はダメなんだ」というところを悶々と悩み、迷う中で、ひとつひとつ確信をつかみ取り、最終的に肚に落とした、信念なのだろう、と思った。

 

アスペルガーの人の言葉はやはり実直で、余計な脂身がついていないだけに、削ぎ落とされて残った文は、なんというかとても信頼に足る、大事なものだけを取り出したような確実さを、とても感じる。

 

診断後、私は無意識に、自分の苦手なこと、困っていることをこれまで以上に正確に割り出して、そこを埋めるにはどうしたらいいかを考えようとしていた。つまり自分の「足りないところ」を補って、社会に適応しようとしていた。

それは自分では普通に、ただ淡々と取り組もうとしていたけれど、意識のふかいところで実はけっこうこたえていたんだなあ、と、この本を読んで気付いたのだった。

 

しーたさんは次のように書いている。

なぜ、自分がアスペルガー症候群であることを知って戸惑うのか、それは、診断を受けると、突然自分の社会的な立場が変わり、「障害者」にカテゴリー分けされ、「支援」を受ける立場になり、「社会適応のための訓練が必要」と言われるからだと。

 

そうだよなあ、自分がまちがっていて、矯正/訓練されるべき存在だ、なんて思うことが、辛くないわけがなかった。たぶん、自分というものの軸が見えなくて、無条件に自分をまず疑ったり責めたりしてしまうのも、特性の一つなんだろう。

 

そんなわけで、「アスペルガーでした〜。わかってすっきりした」で片付けようとしていた私。そうそう簡単にここは通れませんよー、ってことだった。

ショックを受けているのも、悲しかったり落ち込んでいたりするのも、ちゃんと、味わってあげないとなあ、と思った。自分の感情なんだから。前向きになるのは、じっくりそれを味わってから後の話だ。

 

さて、後半も楽しみに読もう♪