なんだなんだ、そうだったのか

娘が発達障害だった、と思ったら私もでした!人生半ばで気づいたよ。まったく新しく見える世界を、観察していきます。

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【アスペルガーの診断、余裕で受け止めた気でいました】

とある本を昨日図書館で借りて読んでいる。

それで、興奮しながらこれを書いてる。

 

私がアスペルガーの診断を受けたのは、先月の今頃。つまりまだ1ヶ月くらい前。

この診断に先立って、すでに自分でいろいろ調べていたし、自分自身のことがモヤモヤしてわからないよりは、はっきりと「あなたはこうです」と言われた方がすっきりすると思っていた。

だから診察も、診断結果を聞きに行くのも、不安よりはむしろ、自分の中で一区切りついて、これからの展望が開けるんじゃないか、新しいスタートラインに立てるんじゃないか、っていう期待の方が大きかった。

 

実際、診断が降りたときは、ほっとした。

ああやっぱり自己診断はおおむねその通りだった。この先は、こういう私がどうしたらもうちょっと生きやすいか、もうちょっと子どもや夫と良い関係を築けるか、具体的な工夫をどんどんしていけばいいんだ。

と、思った。

 

それは本当にそのとおりで、そのために今も、引き続き情報収集をして、少しずつ前に進む道を探している。それがなかなか難しいことであっても、少なくとも「なぜこんなにいろいろ辛いのか」の中身がわからなかった以前に比べて、「辛いポイント」や「なぜそうなのか」がだいぶ分かるようになってきたので、改善したいと思ったときにとっかかりがある、というのはとても大きい。

 

私は、「障害」を割合スムーズに受け入れて、前へ進むことができているんじゃないだろうか、という感じがしていた。

 

で、冒頭に触れた本がこちら。

アスペルガー症候群だっていいじゃない (ヒューマンケアブックス)

アスペルガー症候群だっていいじゃない (ヒューマンケアブックス)

 

これは、しーたさんというアスペルガー当事者の著者が、わかりやすい4コマ漫画を織り交ぜて綴ったアメーバブログの内容を、書籍として出版したもの。

何かで目にして、ブログの方の内容を少しだけ覗いたらとてもわかりやすそうだったので、さっそく図書館で借りてきたのだ。

 

あのう、この本、すごいんです!!!

うーーーん、と声に出してうなる本って、そうそうない。

かわいい絵柄の漫画と、「わたし」について書き連ねられた文章。

「よくある感じのやつだろーなー」と、正直思いながら読み始めた。

ら、

見た目のソフトさ、軽さと全然違う、すごい著作だった。

 

誰にとっても「すげえ!!」ってなるかどうかは、わからないけれど、相性とタイミングが良かったんだろうと思う。まずは、私自身のことが書いてあるのかと思うくらいに、エピソードや困りごとに共感できることが一つ。

それから、障害を受け入れて前向きに生きようとしている、と思っていた、診断1ヶ月後の私の心の状態で、まさにぴったんこのタイミングでこの本に出会った、ということだと思う。

 

まだ半分くらいまでしか読んでいないのに、今のこの感触を忘れたら書けない!ということで、途中でこれ書いてるからね。(ADDだからメモリに置いとける時間短いし)

 

私は本はいつもまえがきとあとがきを先に読む、というクセがあって、今回もそうしていた。この本のあとがきは監修者であり児童精神科医師・臨床心理士田中康雄さんという人が書いている。

私は基本的に、簡単に感動したり、本を読んで泣いたりできるタイプの人間ではない。それなのに、このあとがきの一部を読んだときに、思わず涙が出てきてしまったのである。

 

その部分を、すこし長くなるけど、引用しようと思う。

*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

私は、(中略)アスペルガー症候群のある人たちの世界を、「かれらは、非常な恐怖感、不安感、不全感を日常生活場面で抱き続けて生活している。さらに、なかなか世界の取っ手をつかめずに生きているように思われる。そしてそれを、かれらは生来的に『当たり前』と理解している。別の生き方を経験できないでいる。かれらは、その不確定さ、不確実さが生来的な感覚であるがゆえに、そこに違和感を抱くよりも、不明な、安心を提供しない周囲の関わりや状況に、強く継続的な違和感や疎外感を抱いて生活をしている」という前提を忘れずに向き合おうと思っています。

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わかってくれて、ありがとう・・・と思った。

そうだなあ。私の世界は、そのとおり、恐怖感、不安感、不全感でいっぱい。でもそう思うことに、どこかでずっと罪悪感を持っていた。

発達障害なんて言葉に接点のなかった半年ほど前まで、私はこのネガティブで恐怖と不安に埋め尽くされた自分の思考にほとほと嫌気がさして、自己啓発とか精神世界方面からなんとかヒントを得ようともがいてきた。

で、いろいろ異なるジャンルに手を出しても、私が読み取るメッセージ?はだいたいこれ一点に尽きた。「この世界を作っているのは自分の認識(脳、もしくは心が投影されたものが世界)。そこを変えなければ、幸せにはなれない。」

だから、私はこの恐怖や不安をどうあっても払拭しないといけない、ネガティブに捉えれば世界はネガティブにしか映らない、その思考癖は自分で抜け出すしかない、それができないのは結局どんな現状でも維持している方が楽だからだ、と、ふがいない自分を責め続けてきたのだった。

 

そっか、気の持ちようではなかった。

「生来的に」そうなんだよ。

この恐怖と不安は、もう、持って生まれた宿命とでも言うべきものなんだ。

私、ずっと苦しくて不安で怖かったけど、それは仕方なかったんだ。

 

そうして、この本との出会いに何か直感的にとても大きなインパクトを感じながら、本文を読んでいった。

著者のしーたさんは、自身の「障害」を、「能力が欠如している」のではなく、ただ「違う」のだ、という書き方をしている。それは、専門家が「脳の作りが違うんですよ」と学術的な意味合いで言うのとは重みが違って、ご本人が当初、診断に落ち込み、「自分はダメなんだ」というところを悶々と悩み、迷う中で、ひとつひとつ確信をつかみ取り、最終的に肚に落とした、信念なのだろう、と思った。

 

アスペルガーの人の言葉はやはり実直で、余計な脂身がついていないだけに、削ぎ落とされて残った文は、なんというかとても信頼に足る、大事なものだけを取り出したような確実さを、とても感じる。

 

診断後、私は無意識に、自分の苦手なこと、困っていることをこれまで以上に正確に割り出して、そこを埋めるにはどうしたらいいかを考えようとしていた。つまり自分の「足りないところ」を補って、社会に適応しようとしていた。

それは自分では普通に、ただ淡々と取り組もうとしていたけれど、意識のふかいところで実はけっこうこたえていたんだなあ、と、この本を読んで気付いたのだった。

 

しーたさんは次のように書いている。

なぜ、自分がアスペルガー症候群であることを知って戸惑うのか、それは、診断を受けると、突然自分の社会的な立場が変わり、「障害者」にカテゴリー分けされ、「支援」を受ける立場になり、「社会適応のための訓練が必要」と言われるからだと。

 

そうだよなあ、自分がまちがっていて、矯正/訓練されるべき存在だ、なんて思うことが、辛くないわけがなかった。たぶん、自分というものの軸が見えなくて、無条件に自分をまず疑ったり責めたりしてしまうのも、特性の一つなんだろう。

 

そんなわけで、「アスペルガーでした〜。わかってすっきりした」で片付けようとしていた私。そうそう簡単にここは通れませんよー、ってことだった。

ショックを受けているのも、悲しかったり落ち込んでいたりするのも、ちゃんと、味わってあげないとなあ、と思った。自分の感情なんだから。前向きになるのは、じっくりそれを味わってから後の話だ。

 

さて、後半も楽しみに読もう♪